インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第41回 ユージン・ウエハラさんとヴァージニア・イケヤさん

令和8年8月17日

ユージン・ウエハラさん


現在76歳のユージン・ウエハラさんは日系三世パラオ人です。父のヤスナガ・ウエハラさんは沖縄県出身のうえはらほへいさんとガラロン州出身のパラオ人女性イヲン・メンロイ・ウエハラさんの息子です。ユージンさんの母はコロール州出身のバウスティナ・クモデランさんです。ユージンさんには4人の兄弟姉妹がおり、うち3人は既に他界しています。妻のヴァージニア・イケヤさんとの間には4人の子どもと多くの孫に恵まれています。
 
ユージンさんはミゼンティ高校を卒業後、現在パラオ・コミュニティ・カレッジ(PCC)として知られるミクロネシア職業専門学校で学びました。在学中、公共事業工学のプログラムに採用され、電力や水道などの公共事業の管理に関する研修を受けました。その後、シンガポール、サモア、ミクロネシア諸島など各地を訪れ、公共事業の管理に関する研修を実施するとともに、パラオ公益事業公社の職員育成にも携わりました。
 
その後、PCCの動車整備の実習指導員として採用されました。教育に熱心なユージンさんは、新任のスクールバス運転手や添乗員に対し、コロールの主要道路の交差点における適切な手順についても指導しました。バスの乗降時を含め、生徒の安全を確保するため、常に注意を怠らないよう繰り返し伝えていたといいます。PCCでの任期を終えた後も、2013年には自動車整備プログラムの学生に向けて「奉仕の心」と題した講演を行いました。
 
ユージンさんはコロール州ガーバエッド地区の議員を務めるなど、地域社会においても積極的に活動しました。公共サービスへの強い使命感を持ちながら、若い頃には熱心な野球の監督兼コーチとしても活躍しました。
 
幼い頃から野球に興味を持ち、外野手として少しの間プレーしたこともありましたが、トニー・トワイさんのアドバイスを受け、監督とコーチの道に進むことを決意しました。トワイさんの指導のもと、打順の組み方から投手交代のタイミングまで野球の基礎をすべて学びました。その後、ユージンさんはソフトボールチームを結成し、そのチームを優勝へと導きました。
 
1984年には、選手たちからの要望を受けて野球チームを立ち上げました。チームは結成直後から頭角を現し、1984年と1985年の選手権シリーズで準優勝を果たしました。そして1986年、ガーバエッド・ガーバエースチームは初のシリーズ優勝を飾りました。さらに、充実した選手層を誇るチームはさらに勢いを増し、1997年、1998年、2000年、2001年の4度の優勝を果たしました。なお、1999年シーズンは選手たちが第11回南太平洋競技大会の準備をするため途中で中断されました。この時代はガーバエッド地区にとって輝かしい時期として刻まれ、野球史において記憶に残る一章となりました。チームを称えた歌まで生まれたほどです。イケヤ夫人は当時選手たちが自宅に泊まり、大勢分の食事を用意していたことを未だに覚えています。ある意味で、ウエハラ夫妻は選手たちの第二の親のような存在でした。ユージンさんは2001年までガーバエッドチームのコーチを務めました。

ヴァージニア・イケヤさん


現在73歳のヴァージニア・イケヤさんは、ユージン・ウエハラさんの妻であり、夫と同じく日系三世パラオ人です。父はイケヤ・ブラウさん、母は日系二世パラオ人のトシコ・ウレオン・イケヤさんです。
 
母のトシコさんはディリヤウル・レケスクさんと日本人男性との間に生まれましたが、母方の叔母であるイブライ・オルゲリールさんとその夫ウレオン・アマレイさんの養子となって育ちました。母のトシコさんにはアヤコ・オーンクルーゲルさんという姉妹が一人だけいました。ヴァージニアさんの家系は、バベルダオブ島のマルキョク州・ニワール州・ガラルド州といった複数の州に及びます。
 
ヴァージニアさんの母・トシコさんは若くして彼女を出産しました。日本人の父親は日本へ帰国してしまったため、ヴァージニアさんは実の父親の記憶がありません。母方の叔母アヤコさんは他の親族とともに父親を探しに日本へ渡りましたが、すでに他界しており、父の親族たちも二人との再会を望みませんでした。
 
ヴァージニアさんは11人兄弟姉妹の一人です。兄弟姉妹の中には海外へ移住した人もいますが、ほとんどはパラオに留まり、そのうち2人は既に他界しています。ヴァージニアさんによると、生まれた時に父親が名前を「Virginia(ヴァージニア)」と書くべきところを「Vriginia(ブリジニア)」と綴ってしまったそうです。学校を訪れた神父がその誤りを彼女に指摘しましたが、最初は聞き入れてもらえず、神父が直接父親と話し合った末に、ようやく正しい綴りに直すことで合意したといいます。ヴァージニアさんの養父・イケヤ・ブラウさんは日本統治時代にパラオに暮らしていた日本人たちと親しく、ガラルド州の日本人学校で教師をしていました。養父は「イケヤ」という名前を持ちながら日本の血は引いていませんが、地元では「イキャサン」という愛称で親しまれています。これは「イケヤさん」が訛ったもので、パラオ語の発音では続けて一語のように聞こえるためだそうです。
 
ヴァージニアさんはガラルド州で育ち、地元の小学校を経てパラオ高校に進みました。高校卒業後は、現在のパラオ・コミュニティ・カレッジ(PCC)の前身であるミクロネシア職業専門学校でOJT(職場実習)プログラムに参加しました。そこで用品管理担当として、学校の備品確認や物品の調達、さらには勤怠管理などの業務に携わりました。プログラム修了後は、PCCの財務部に採用され、2012年4月に定年退職するまで長年にわたって勤め上げました。
 
現在は、健康上のケアが必要な夫ユージンさんを支えながら孫たちの世話をする日々を送っており、教会のコミュニティ活動にも積極的に参加しています。
 
最後に、ヴァージニアさんに日本とパラオの関係についてお伺いしました。ヴァージニアさんは、両国はすでに非常に緊密な絆で結ばれていると語りました。日本人はかつてパラオに長く暮らし、パラオの人々はその文化の多くを取り入れ、日本語由来の言葉も日常的に使われています。この両国のつながりが、これからも末永く続いてほしいと願っているとのことでした。