インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第40回 メルリー・クロダ・クアルテイさんとデボラ・“デビー”・レギールさん

令和8年6月11日

メルリー・クロダ・クアルテイさん


現在68歳のメルリー・クロダ・クアルテイさんは日系三世パラオ人です。彼女の父親はタダオ・ゴテルさん、母親は故ヒガ・ゴテル・キョウコさんで、両親はいずれも日系二世のパラオ人です。

父方の祖父母は、日本統治時代にパラオで活躍した福岡県出身の測量技師、クロダ・タダオさんと、パラオ人女性のギルール・ゴテルさんです。二人の間には七人の子どもが生まれ、メルリーさんの父は1930年に誕生しました。
メルリーさんの父は幼少期、ガラルド州、ガラロン州、さらにコロール州に日本が設置したパラオ人向け日本語学校に通いました。高校卒業後、1953年よりガラロン小学校の教頭を務め、その後パラオ史上最も長く政界に在籍した政治家として知られるようになりました。彼はガラロン州議会議員として26年間にわたって務め、そのうち22年間は議長職を担いました。また、トミー・E・レメンゲサウ・ジュニア前大統領の顧問として、2016年から逝去されるまでその職を全うしました。

メルリーさんの母方の祖父は沖縄県出身のヒガ・シンジさんです。祖父は子どもたちに殆ど日本語で話をしていたため、子供たちはパラオ語を話すことができませんでした。それでも、メルリーさんの母親のキョウコさんがパラオ語を話せるようになかったのは祖母のおがけで、日常生活の家事を教える際にパラオ語で会話をし、彼女は理解しようと最善を尽くしました。

第二次世界大戦終結後、パラオに住む日本人とその家族を本国へ送り返すための船が到着しました。しかし、出港の時刻が近づいても、キョウコさんの姿はどこにもありませんでした。彼女は船に乗りたくなかったからではなく、村の集会所で踊りの催しに参加したかったため、森へ逃げて隠れていたのです。こうした経緯からキョウコさんはパラオに残ることになり、叔父のミダールさんのもとで育てられました。

メルリーさんがかつて母に、「両親が恋しくなかった?」と尋ねたことがありました。母は、当時は友人たちとの活動に夢中で、パラオには親戚もたくさんいたから、両親がいない寂しさはそれほど感じなかったと話してくれたそうです。

メルリーの記憶によると、母の兄弟姉妹が訪ねてくるといつも日本語で話していたため、幼くて好奇心旺盛だったメルリーさんは父に「何を話しているの?どうしてパラオ語で話さないの?」とよく聞いていたそうです。すると父は「大した話じゃないよ、ただ他愛のないことで言い合っているだけだ」と言って取り合わなかったといいます。
 
母の兄弟姉妹で現在唯一存命なのは、ヒガ・タケコさんで、戦時中に村の若い夫婦に養子として迎えられました。現在は夫や子どもたちとともにコロラド州で暮らしています。
 
メルリーさんは、ガラロン小学校に通い、その後ベタニア女学校へ進学しました。高校卒業後はワシントン州シアトルのシアトル・パシフィック大学で看護学の学位を取得しました。現在は看護師として活躍する傍ら、夫である上院議員で医師のスティーブンソン・クアルテイさんとともに、パラオで家族経営のクリニックを運営しています。また、2025年には家族で日本を訪問する機会にも恵まれたと話してくれました。

デボラ・“デビー”・レギールさん


現在67歳のデボラ・“デビー”・レギールさんは、父のウエハラ・“シサン”・ヨシヒサさんと母のウエハラ・クロダ・レイコさんの娘です。デボラさんの両親はいずれも日系二世のパラオ人です。ヨシヒサさんは沖縄県出身で、現在97歳のレイコさんは、メルリーさんの父であるタダオ・ゴテルさんの妹です。彼らの家系は福岡県にルーツを持っています。
 
デボラさんの母方の祖父であるウエハラ・ホヘイさんは、沖縄からパラオへ渡りました。アンガウル州で日本船を港へ誘導する船長として働き、イウォン・メングロイ・ウエハラさんと結婚し、6人の子どもが生まれました。
 
戦後の引き揚げの際、デボラさんの祖父であるウエハラ・ホヘイさんは、6人の子供のうち息子のウエハラ・ヤスヒデさんを連れて日本へ帰国しましたが、残りの子どもたちは母親とともにパラオに留まりました。その後、デボラさんの父方の叔父にあたるウエハラ・ヤスヒデさんは、パラオを何度か訪れ、パラオ人の母親やきょうだいを探し続けました。
 
一方、第二次世界大戦後にパラオに残ったデボラさんの母と兄弟も、父親を探すために2度日本を訪れましたが、残念なことに父親は訪問の前年に他界していました。日本滞在中、異母兄弟たちは当初父の遺産を狙っていると思い、やや警戒していましたが、やがて彼らが求めていたのは家族との再会であることを理解すると、次第に打ち解けていったそうです。そしてデボラさんの家族は、日本の親族をパラオへ招待しました。
 
メルリーさんとデボラさんの母親同士は親友です。あまりにも親しいため、服装や髪型まで揃えることがあり、時には姉妹と間違われることもあります。メルリーさんとデボラさんは、家族の集まりの写真や母親たちの面白いエピソードを楽しそうに語ってくれました。
例えば、ウエハラ・レイコさん(デボラさんの母)は、兄のタダオ・ゴテルさん(メルリーさんの父)とはよく言い争いをすることがありましたが、メルリーさんの母であるキョウコ・ゴテルさんとは決してそうしたことはなかったそうです。彼らは非常に親しい義理の家族にすぎません。
 
また、あるとき飛行機の中では、客室乗務員がウエハラ・レイコさんとキョウコ・ゴテルさんを姉妹と間違えることもありましたが、二人はその誤解を訂正せず、そのまま受け入れていました。
 
デボラさんはガラロン小学校に通い、その後ベタニア女学校へ進学し、高校卒業後はカリフォルニア州ロックリンにあるサンノゼ聖書大学(現ジェサップ大学)で教養学を学びました。現在はパラオ福音教会でオフィスマネージャーとして勤務しています。
 
お二人は日本とパラオの関係についても語ってくれました。両国のつながりは非常に深く、第二次世界大戦以前から長い年月をかけて築かれてきたものだといいます。その始まりは困難な時代であったものの、今では互いにとって前向きで支え合えるパートナーシップへと発展したと感じているそうです。多くのパラオ人が日本にルーツを持つことから、日本はパラオにとって遠い国ではなく、まるで家族のように身近な存在だと語ってくれました。