インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第39回 モリマツ・キンジョウさん
令和8年5月19日

モリマツ・キンジョウさん(89歳)は沖縄県出身のモリスケ・キンジョウさんとエサール州出身のトモドラン・トゥロイさんの息子です。キンジョウさんにはフミコ・キンジョウさんとヒデコ・キンジョウさんという2人の姉がいます。お二人とも亡くなられています。三人の子供と数人の孫がいます。キンジョウさんの父親モリスケ・キンジョウさんは大工として日本統治時代パラオに働きに来ました。トモドラン・トゥロイさんと家族を築き亡くなるまでずっとパラオに住みました。亡くなった時はエサール州のガルガサン村に埋葬されました。
父親から日本語を習い、4歳ごろまでは日本語が話せました。第二次世界大戦終戦後パラオの学校で日本語を教えなくなったため、キンジョウさんも日本語を話さなくなりました。今も日本語を話すことができず理解できる日本語単語も少ないと言います。
モリマツ・キンジョウさんは、エサール小学校に6年間通い、その後、男子私立校のエマウス校に3年間通いました。エマウス校卒業後もエマウス校舎に住み続け、エマウス男子私立校とガラルド州のベタニア女子私立校の施設・整備係員として働いてきました。大工の仕事が得意な彼はエマウス校とベタニア校の多くの校舎を建設しました。また、エマウスとベタニア両学校の移動手段として使われていた「オレキム」(パラオ語で虹)と呼ばれる木造船をも建造しました。同船で第二次世界大戦時の廃材鋼管をペリリュー島からガラルド州のベタニア校まで運んで灌漑システムを修理したと語ってくれました。
幼いころ多くの木造住宅を建てた父親の手伝いをしたキンジョウさんは自然と大工の仕事を学びました。キンジョウさんは父親のように大工の仕事ができるし、整備や船のオペレーターの仕事もできます。キンジョウさんを訪れた時に彼は様々な道具を見せてくれました。また、エマウス校とベタニア校(現エマウス・ベタニア高校)在職中に取り組んだ色々なプロジェクトについて語ってくれました。
キンジョウさんは一時ヤップ島とヲレアイ島に派遣されて気象観測所を建設する仕事をしました。数人しか住んでいないヲレアイ島に行く前に彼は気象を読むためのトレーニングをヤップ島で受けました。ヤップ島着後彼は、3日間で8フィート×20フィートの建物を一人で建てるという仕事の指示を受けました。彼は指示通り建物を作り、その建物に4年間住み、気象予報員として働きました。
モリマツ・キンジョウさんは、船のオペレーターだった頃の忘れられない思い出話も語ってくれました。アンガウル州からペリリュー州への定期航海中、突然天候が悪化した時の出来事がありました。木造船は損傷し、船内の水は足首まで達しました。彼はなんとか冷静に船をペリリュー州まで操縦し、そこで損傷を修理した後、上司と共にコロール州に戻りました。他にも似たような話をし、当時乗り越えられないような出来事を振り返ってみると、今日ここに立っているのは奇跡だと言います。
キンジョウさんは自身のキャリアを微笑みながら「長年にわたり、様々な役職を歴任してきた。体力的にきつい仕事もあったが、その努力はすべて無駄ではないと信じている。」と振り返りました。
キンジョウさんは、日本への招へいプログラムの引率者として一度沖縄を訪れたことがあります。沖縄はパラオに似ていて、あまり混雑していないことがよかったと語りました。また、新鮮な果物、特に大きなリンゴがとても気に入りました。
パラオと日本の繋がりについてモリマツ・キンジョウさんは、「日本とパラオは非常に良好な関係を築いていると思います。日本の統治時代飲酒と喫煙が違法だったことに感謝しています。なぜなら、その規則は、市民がトラブルを避け、秩序を保つためにあったと思います。」と語りました。