インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第33回ベロウス・レケメシクさん
令和8年3月31日
ベロウス・レケメシクさんは、国費留学の専修課程に応募し、京都コンピュータ学院でビジネスITを専攻しました。
ベロウスさんは、父のレニール・レケメシクさんと母のウバド・ニールオムレイさんの間に長女として生まれ、妹が一人います。彼女の名前「ベロウス(Berrous)」はパラオ語で「夢」、妹の名前「ベルティケルレン(Beltikelrreng)」は「愛」を意味します。ベロウスさんはパラオの多くの州にルーツを持つ家系ですが、コロール州ゲルベエッド地区の出身であることを最も誇りに思っています。
彼女は、8歳までコロール小学校で初等教育を受けました。その後、当時米軍に所属していた母親の配属に伴い、一家はニューヨーク州フォート・ドラムへ移住し、小学校3年生までブラックリバー小学校で学びました。その後、母親の転勤に伴い、ミネソタ州のロングプレーリー・グレイ・イーグル小学校に転校しましたが、1年後、ニューヨーク州フォート・ドラムに戻り、2014年までインディアンリバー小学校に通いました。母親の退役後、家族は再びミネソタ州に戻り、ベロウスさんはロングプレーリー・グレイ・イーグル中等学校で中等教育を修了しました。高校最後の2年間、ベロウスさんは在籍校のプログラムを利用して、ミネソタ州ブレイナードにあるセントラル・レイクス・カレッジの講義を無料で履修することができました。普段は高校の授業に出席しつつ、空き時間を利用して同大学のオンライン講義を受講し、2019年5月に高校卒業資格と同時に準学士号(Associate of Arts)を取得することができました。
高校卒業後、一家はパラオに戻りました。ベロウスさんは当初アメリカに戻り、コロラド大学に進学する予定でしたが、気持ちが変わってパラオに残り、就労支援機関(WIOA)事務局で事務アシスタントとして働くことにしました。この期間中、彼女は日本政府(文部科学省/MEXT)奨学金のことを知り、母親の勧めもあって専修学校(STC)課程に応募をして合格しました。当時のベロウスさんは日本についてあまり詳しくなく、友人から紹介されていたアニメが日本発祥であることを知っていた程度でした。
日本への出発前、ベロウスさんは在パラオ日本国大使館の職員から基礎的な日本語を学びました。留学当時はコロナ禍にあったため、ベロウスさんが日本に到着した際は2週間、ホテルの部屋に隔離され、最初の数回の日本語授業はオンラインで受講することになりました。ベロウスさんは、当時を振り返り、「この隔離期間が、留学中で最もホームシックを感じた時期でした。幸いにも、オンラインで家族と連絡を取ることができ、そのおかげで最初の数週間を乗り越えることができました。」と語りました。
奨学金プログラムの一環として、ベロウスさんは大阪日本語教育センターで1年間の日本語コースを受講しました。最初に模擬試験を受け、その結果に応じて習熟度別にクラスが決められました。彼女の日本語レベルは、初心者レベル(日本語能力試験(JLPT)N5相当)から始まり、留学終了時にはN3レベルまで上達しました。ベロウスさんは、「リスニングとライティングの学習は比較的容易でしたが、スピーキングが難しかったです。」と語りました。また、大阪日本語教育センターでの1年間は、寮で生活しており、さまざまな国の学生と友達になることができたそうです。京都コンピュータ学院での2年間は、京都のアパートで一人暮らし生活も経験しました。あるとき、大阪ロータリークラブの方から炊飯器と約5kgの米が寄付されました。ベロウスさんはとても感謝しており、頂いた炊飯器を日本滞在の3年間、ずっと使い続けたそうです。
ベロウスさんに日本の生活について伺うと「日本での生活はめまぐるしく過ぎるが、便利で、電車内などでの公共マナーや礼儀がきちんとしていて素晴らしいです。」といいました。しかし、初めて日本学生支援機構(JASSO)へ訪問した時、ガイドでさえ迷ってしまうほどの大阪駅の迷路のような構造に少し驚いたそうです。この出来事から、地下鉄の利用に不安を感じ、一度はクラスメートと一緒に大阪城まで徒歩45分かけて行ったこともありました。徐々に慣れてくると、英語の案内表示を見つけたり、路線や出口を覚えたりして、移動がずっと楽になったと話しています。
ベロウスさんが日本で最も印象に残っている経験は、住んでいた大阪や京都に加え、静岡、東京、神奈川など他県の美しい名所を訪れたことです。新型コロナウイルスの規制が解除されて間もなく、京都の祇園祭に参加することができ、約5万人もの人々が祭りを見るために集まる様子を目の当たりにしました。また、ミクロネシア連邦、ソロモン諸島、その他の国から来た友人たちと一緒に旅行を楽しみました。友人と富士山周辺を訪れた際には、人気の遊園地「富士急ハイランド」や「鳴沢氷穴」に行きました。バス停が非常に離れていたため、バスや電車に間に合うように、ルートを慎重に計画しながら移動したそうです。彼女はまた、京都北部の宮津市にある「天橋立」にも訪れました。天橋立の有名な砂州と美しい海岸の景色が、パラオに似ているため、彼女のお気に入りの場所だそうです。2024年3月の卒業を間近に控えた数週間前、ベロウスさんの家族が日本を訪れ、一緒に広島や宮島を観光しました。ベロウスさんはうなぎや大好物のつけ麺などの日本食を楽しみました。彼女の好きな季節は冬です。友人たちと雪の中でスキーを楽しめる滋賀県が特に良かったそうです。
学校では、コンピュータ学習に関連したプロジェクトに取り組んだり、2023年に京都で開催された「インターネット・ガバナンス・フォーラム京都2023」のような会議に参加したりと、実践的な学びに重点が置かれていたと述べています。そのフォーラムでは、サイバーセキュリティやデータガバナンスについて学びました。京都コンピュータ学院での授業は日本語で行われていましたが、常に英語でサポートしてくれる教師が在籍していました。ベロウスさんは、さまざまなコンピュータアプリを使いこなし、インターネットを活用する技術の便利さを実感したと振り返っています。特に、授業の内容を日本語から英語に翻訳する際に役立ったそうです。
ベロウスさんは、日本政府(文部科学省/MEXT)奨学金の応募をためらっているパラオの学生たちに対して、次のように述べました。「とにかく応募してみてください。挑戦してみて損はありません。日本語がわからないと不安に思うかもしれませんが、あなたと同じような学生が他にもたくさんいるのできっと乗り越えられます!」
2024年3月に留学を終えパラオに帰国したベロウスさんは、翌月から早速在パラオ日本国大使館の広報・文化アシスタントとして勤務を始めました。仕事内容は、ホームページやSNSの更新、情報収集、イベントの調整などで、情報管理やデータ入力、プログラミングなど学んできたコンピュータの知識を実務で活かせることを嬉しく思いつつ、特にイベントの企画・運営を楽しみながら現在も仕事に励んでいます。