インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第29回ステイシー・ウルドン・ニラルマウさん
令和7年10月30日

ステイシー・ウルドン・ニラルマウさんは、国費留学の研修課程に応募し、宇都宮大学で国際学を専攻しました。
ニラルマウさんは、アイライ小学校、パラオ高校を卒業後、グアム大学に短期在籍した後、アメリカのカンザス州にあるミズーリ大学へ進学、その後テキサス州にあるミッドウェスタン州立大学に編入して社会学の学士号を取得しました。卒業後はパラオへ戻り、ユース・ソーシャルワーカーとしてパラオ保健省で勤務していましたが、仕事を通じ、「若者のメンタルヘルスに対して何らかの形でサポートしたい」という気持ちが芽生え、大学院に進学することを決めました。パラオと友好関係にある日本に対して、ニラルマウさんは親近感を抱き、留学先に日本を選んで、国費留学に応募するに至ったそうです。当初は社会学を専攻したいと考えていましたが、社会学のコースがなかったため、国際学を専攻して、その観点から若者のメンタルヘルスに関する研究を深めました。
日本に到着して間もない頃、ニラルマウさんは大きなカルチャーショックを受けたそうですが、その際、日本人とフィジー人の2人の先輩が生活面で支援してくれたそうです。滞在中には多くの思い出を作り、日本国内外への旅行の利便性の高さもあり、さまざまな場所を訪れました。コンサートやお祭りへの参加、数々の寺社の参拝をはじめ、お花見やスキー、富士山登山(2回)にも挑戦し、さまざまな角度から日本文化を堪能しました。
特に温泉や銭湯が気に入り、今でも恋しく思っているそうです。日本食も全般的に好きで、なかでも広島のお好み焼きと宇都宮の餃子がおいしかったと話してくれました。
また、留学中は英語スクールで講師のアルバイトをしていました。留学終了後、そのバイト先から声をかけられ、常勤講師として日本で働きながら生活を続けました。その後、日本でひとりで息子を育て上げました。パラオにいる家族を恋しく思う一方、ニラルマウさんは日本での生活が性に合っており、時が経つのが早く感じたそうです。息子が4歳になるまでは日本で暮らしており、その後も日本語教育を続けてきたため、現在も息子は日本語を上手に話せるそうです。そんな息子の姿を見て、「将来は日本に留学できるといいな」と思っているそうです。また、息子が整理整頓や計画的な行動、時間を守ることなど、日本の文化的な環境に自然に適応し、規則正しい性格に育っていることを、ニラルマウさんはとても喜んでいる様子でした。
2017年にパラオへ帰国し、ニラルマウさんはパラオ短期大学の非常勤講師として、観光学を教えていました。同時に、アイライ州の「ネリール・ネイチャー・アイランド・リゾート」で数年間勤めました。2020年にサイパンへ移住し、現在はコミュニティ・ヘルス・アウトリーチ・ワーカーとして適切な医療機関を紹介するなど、医療機関との橋渡し役を担っているそうです。
ニラルマウさんは日本留学に対してこう語りました。「日本留学で得たものは、学術的な知識にとどまらず、よりよい仕事の習慣や倫理観、そして責任感を身につけることができた、かけがえのない人生経験でした。また、留学中には多くの友人と出会い、その人たちとは今でも連絡を取り合う、大切な存在となっています。あるときは友人が私に会いに来てくれたり、またあるときは私が日本やヨーロッパに足を運んで再会したこともありました。こうした経験ができたことから、現在の若いパラオ人の学生たちにも、同じような体験をしてほしいと願い、パラオにいたときも、今住んでいるサイパンでも、日本での留学のチャンスを逃さないよう積極的に声をかけています。」
ニラルマウさんの日本に対する期待は、これからもパラオとの友好関係が保たれ、さらに強固なものへと発展していくことです。「世界が不安定な状況にあるなか、政府レベルでの良好な関係に加え、人と人とのつながりを通じた文化交流は、パラオの平和と安全のために欠かせないと信じています」と、ニラルマウさんは語りました。