インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第34回 ケイコ・ベドール・ナカムラさん

令和7年10月7日

 
ケイコ・ベドール・ナカムラさん(76歳)は、三重県出身の父、ナカムラ・ゼンシチさんとペリリュー州出身の母、アリール・ベトク・ナカムラさんとの間に生まれた8人兄弟の末っ子で、兄のクニオ・ナカムラさんは元パラオ大統領です。ケイコさんは当地で著名な弁護士、ロマン・ベドールさんと結婚し、3人の子どもを授かり、現在は5人の孫がいます。
 
父のゼンシチさんはアンガウル島でリン鉱石の採掘に従事していた際、アリールさんと出会って結婚し、その後ペリリュー島で暮らしていました。戦争が終わると、ゼンシチさんは家族を連れて日本へ帰国しました。日本で約2年間生活した後、再びパラオに戻り、その後ケイコさんが生まれました。ゼンシチさんは船大工として働き、コロール中心部に土地を購入して家を建てました。ケイコさんは日本語が話せません。その理由は、ゼンシチさんが家族とパラオ語で会話していたためです。「父は子どもたちに声を荒げることも手を上げることもしない、優しく穏やかな人でした」とケイコさんは語りました。また、父からは「食べられる以上の食べものを取ってはいけない」、「母を常に敬うように」と教えられたそうです。ゼンシチさんは亡くなるまで家族と共に暮らし、亡くなった後は、パラオの自宅の庭に埋葬されました。
 
ケイコさんはコロール小学校、パラオ高校を卒業後、グアム大学に進学しました。しかし、在学中に父の訃報を受け、急遽パラオへ帰国しました。その後、母を支えていくことを決意し、大学を中退してパラオに留まる道を選びました。その後、ベラウ・トランスファー&ターミナル・カンパニーの管理部門で1973年まで勤務しました。この会社は後にナカムラ家が主要株主となり、経営にも関わるようになりました。
 
ケイコさんはこれまでに2度、日本を訪れました。1回目はまだ乳児だった頃で、三重県に住む親戚に会いに行ったときでした。2回目は1996年にナカムラ・クニオ元大統領が家族を伴って訪日した際で、そのときも親戚を訪ねました。訪問先では、かつて赤ん坊だったケイコさんの世話をしていた部屋を見せてもらったそうです。また、先祖代々受け継がれてきた墓地を訪れて墓参りをし、そのときに「この墓地のある土地はナカムラ家が継ぐべき土地である」と告げられたといいます。旅行中には、伊勢神宮(三重県)や大阪、東京にも観光に行きました。クニオ氏の友人が、ケイコさんたちを遊園地に連れて行ってくれたり、地下鉄や新幹線の利用時に同行してくれたりもしたそうです。日本食の中でもお寿司が好きで、「東京を訪れたとき、屋台に並ぶたくさんの料理を見て心がときめいたことを覚えています」と言いました。ただ、訪問の時期が夏だったため、桜を見られなかったことを残念に思ったそうです。その後も夫と「いつかまた日本を訪れたい」と話していましたが、夫は常に多忙で、年月が経つうちに共に訪れる機会を失ってしまいました。
 
一方、姉のヒサエさんはその後も親戚との連絡を続けており、親戚がパラオまで訪ねてきてくれたこともありました。その際、墓地の土地に関する権利証が手渡されましたが、ナカムラ家は感謝の気持ちを伝えたうえで、「土地は日本にいる親戚が相続すべきです」と言って丁寧に断りました。その親戚はナカムラ家の親切心に涙を流して感謝していたそうです。ヒサエさんが亡くなって以降は、親族との連絡も途絶えてしまったそうです。
 
最後にケイコさんは、「これまで日本から受けたパラオへの支援に感謝しています。今後も両国の友好関係が末永く続くことを心から願っています。」と語りました。