インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第33回 クリスティナ・イナミネさん
令和7年10月6日

現在77歳のクリスティナ・イナミネさんは、沖縄県出身の父イナミネさんと、エサール州出身の母ネバド・ニラケバスの間に生まれた9人兄弟の末っ子です。
父のイナミネさんは戦前にネバドさんと出会い、結婚後は農家と大工の仕事をしながらエサール州で暮らしていました。しかし、戦争が終わると、家族を残して日本へ帰国せざるを得ませんでした。当時、クリスさんはまだ母親のお腹の中におり、父の姿を見ることはありませんでした。
クリスティナさんはエサール小学校を卒業後、現在のグアム銀行付近にあった中学校に進学しました。当時は学校に通うよりも、家庭を支えることが優先されていました。そのため、クリスティナさんは家族の世話をするために中学校を中退しました。ようやく働ける環境が整った頃には、中等教育を途中でやめたことが不安要素となり、就職できるかどうか心配でした。幸いにも商店のSanta Feカンパニーやミクロネシアホテル、東急ホテル(現:パラオパシフィックリゾートホテル)で働くことができ、特に東急ホテルでは1985年から2004年まで勤めたそうです。
あるとき、親戚が日本を訪れました。イナミネさんに再会したいという思いから、テレビ番組を通じてイナミネさんの捜索広告を出したそうです。すると、奇跡的にも本人がその広告を目にし、親戚との再会が実現しました。数年後、イナミネさんはパラオにいる家族のもとへ会いに来てくれました。その頃、クリスティナさんはすでに結婚して子どもを授かっており、初めて父と対面した時のことを次のように語っています。「父との初めての対面に、気恥ずかしさと動揺でいっぱいになり、面と向かって話すことも、父からいただいたプレゼントを受け取ることさえも緊張してしまいました」そんなクリスティナさんを、兄のセイイチローさんが励まし、もう少し会話ができるよう後押ししてくれました。そのおかげで、なんとか父の顔を見て言葉を交わし、最後には日本語で「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることができたそうです。
その際、父は息子のセイイチローさんを日本に連れて帰ることができないかと母に申し出ましたが、母はその提案を断りました。その後も父は2度パラオを訪れ、今度はクリスティナさんの息子を日本で育ててはいけないかと尋ねたそうですが、クリスティナさんもまた母と同じようにその申し出を断りました。他方、父の兄である叔父も、マグロ漁のためにパラオを訪れていました。釣りのたびに新鮮な魚を届けに来てくれたことが今も印象に残っているそうです。
現在、クリスティナさんは夫と5人の子どもに恵まれ、パラオで暮らしています。日本を訪れたことはありませんが、日本食が好きで特におにぎりが大好物だそうです。
最後にクリスティナさんは次のように語ってくださいました。「日本パラオ友好の橋を含め
長年にわたるパラオへのインフラ支援に心から感謝しています。今後も長きにわたり、二国間の友好関係が続いていくことを願っています。」
父のイナミネさんは戦前にネバドさんと出会い、結婚後は農家と大工の仕事をしながらエサール州で暮らしていました。しかし、戦争が終わると、家族を残して日本へ帰国せざるを得ませんでした。当時、クリスさんはまだ母親のお腹の中におり、父の姿を見ることはありませんでした。
クリスティナさんはエサール小学校を卒業後、現在のグアム銀行付近にあった中学校に進学しました。当時は学校に通うよりも、家庭を支えることが優先されていました。そのため、クリスティナさんは家族の世話をするために中学校を中退しました。ようやく働ける環境が整った頃には、中等教育を途中でやめたことが不安要素となり、就職できるかどうか心配でした。幸いにも商店のSanta Feカンパニーやミクロネシアホテル、東急ホテル(現:パラオパシフィックリゾートホテル)で働くことができ、特に東急ホテルでは1985年から2004年まで勤めたそうです。
あるとき、親戚が日本を訪れました。イナミネさんに再会したいという思いから、テレビ番組を通じてイナミネさんの捜索広告を出したそうです。すると、奇跡的にも本人がその広告を目にし、親戚との再会が実現しました。数年後、イナミネさんはパラオにいる家族のもとへ会いに来てくれました。その頃、クリスティナさんはすでに結婚して子どもを授かっており、初めて父と対面した時のことを次のように語っています。「父との初めての対面に、気恥ずかしさと動揺でいっぱいになり、面と向かって話すことも、父からいただいたプレゼントを受け取ることさえも緊張してしまいました」そんなクリスティナさんを、兄のセイイチローさんが励まし、もう少し会話ができるよう後押ししてくれました。そのおかげで、なんとか父の顔を見て言葉を交わし、最後には日本語で「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることができたそうです。
その際、父は息子のセイイチローさんを日本に連れて帰ることができないかと母に申し出ましたが、母はその提案を断りました。その後も父は2度パラオを訪れ、今度はクリスティナさんの息子を日本で育ててはいけないかと尋ねたそうですが、クリスティナさんもまた母と同じようにその申し出を断りました。他方、父の兄である叔父も、マグロ漁のためにパラオを訪れていました。釣りのたびに新鮮な魚を届けに来てくれたことが今も印象に残っているそうです。
現在、クリスティナさんは夫と5人の子どもに恵まれ、パラオで暮らしています。日本を訪れたことはありませんが、日本食が好きで特におにぎりが大好物だそうです。
最後にクリスティナさんは次のように語ってくださいました。「日本パラオ友好の橋を含め
長年にわたるパラオへのインフラ支援に心から感謝しています。今後も長きにわたり、二国間の友好関係が続いていくことを願っています。」