インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第32回 ジュリアナ・スペスンゲル・ミケルさんとグロリア・オセケドさん
令和7年9月24日

ジュリアナ・スペスンゲル・ミケルさんとグロリア・オセケドさんは親戚関係にあり、スペスンゲルさんはパラオで育った日本人、オセケドさんは日系三世にあたります。
現在81歳のスペスンゲルさんは、生後まもなくエサール州出身のスペスンゲル・リカンさんとメルキー・ソイロケルさんの養子として迎えられました。エサール小学校を卒業後、ミゼンティ高校に進学。19歳で結婚し、その後マーシャル諸島で暮らしていました。ある時、育ての父から「実の家族が沖縄にいて、あなたに会いたがっている」と連絡を受けました。スペスンゲルさんは沖縄へ訪れ、そこで初めて「アラカキ」という名の実のご両親と再会しました。実の弟も海外からスプスンゲルさんに会うために戻ってきてくれたそうです。「沖縄で実の家族と過ごせたことは、かけがえのない思い出となりました。沖縄の植物や野菜を見られたのも、とても興味深かったです。」と話しました。一方で、パラオで自分を育ててくれた養父母への感謝の思いが募り、この再会をきっかけにパラオへ帰国することを決意したそうです。その帰り道、現在の夫と出会い、現在はコロール州で、姪の日系三世のグロリア・オセケドさんを含む家族と一緒に暮らしています。
現在64歳のグロリア・オセケドさんは「ヤスダ」という名の日本人を祖父に持つ日系三世です。父のオセケド・ニルゲメラスさんと日系の母、キヨコ・スペスンゲルさんとの間に生まれましたが、叔母のメルキー・ソイロケルさんとその夫のスペスンゲル・リカンさんのもとで育ちました。
オセケドさんはエサール小学校を卒業後、パラオ高校に進学しました。高校は中退してしまいましたが、その後「General Educational Development」と呼ばれる高校卒業相当の資格を取得した後、パラオ短期大学に進学し、準学士号(理系)を取得しました。その後、パラオ・パシフィック・リゾートホテルのカスタマーサービスで勤務していましたが、学士号の取得を目指してサンディエゴ大学のオンラインコースを受講、教育学士号を取得しました。卒業後の2004年から2021年まではミューンズ小学校の教師として勤務しました。「生徒が自分に合った方法で理解できるように、さまざまな解き方を提案し、その中から覚えやすくて理解しやすいものを選べるよう、工夫して授業を行っていました」と語りました。
オセケドさんは、日本人の祖父に会ったことがありませんが、実母のキエコさんが日本を訪れ、祖父の親戚と会うことができたそうです。養父は、よく近所の人たちを家に招いてお茶会を開いていたとのことです。オセケドさんは、養父母、そして実のご両親の両方から「人に優しく接すること」を教えられて育ちました。現在は4人の息子と9人の孫がおり、2011年に夫が他界した今、叔母のジュリアナ・スペスンゲルさんと一緒に暮らしています。当時のパラオでは、男性が料理や洗濯といった家事を教わることは珍しかったそうですが、実母の影響を受けてオセケドさんは自分の息子たちにも家事を教えました。今ではその息子たちが、「あのとき教えてくれて本当に良かった」と感謝の気持ちを伝えてくれるそうです。
現在81歳のスペスンゲルさんは、生後まもなくエサール州出身のスペスンゲル・リカンさんとメルキー・ソイロケルさんの養子として迎えられました。エサール小学校を卒業後、ミゼンティ高校に進学。19歳で結婚し、その後マーシャル諸島で暮らしていました。ある時、育ての父から「実の家族が沖縄にいて、あなたに会いたがっている」と連絡を受けました。スペスンゲルさんは沖縄へ訪れ、そこで初めて「アラカキ」という名の実のご両親と再会しました。実の弟も海外からスプスンゲルさんに会うために戻ってきてくれたそうです。「沖縄で実の家族と過ごせたことは、かけがえのない思い出となりました。沖縄の植物や野菜を見られたのも、とても興味深かったです。」と話しました。一方で、パラオで自分を育ててくれた養父母への感謝の思いが募り、この再会をきっかけにパラオへ帰国することを決意したそうです。その帰り道、現在の夫と出会い、現在はコロール州で、姪の日系三世のグロリア・オセケドさんを含む家族と一緒に暮らしています。
現在64歳のグロリア・オセケドさんは「ヤスダ」という名の日本人を祖父に持つ日系三世です。父のオセケド・ニルゲメラスさんと日系の母、キヨコ・スペスンゲルさんとの間に生まれましたが、叔母のメルキー・ソイロケルさんとその夫のスペスンゲル・リカンさんのもとで育ちました。
オセケドさんはエサール小学校を卒業後、パラオ高校に進学しました。高校は中退してしまいましたが、その後「General Educational Development」と呼ばれる高校卒業相当の資格を取得した後、パラオ短期大学に進学し、準学士号(理系)を取得しました。その後、パラオ・パシフィック・リゾートホテルのカスタマーサービスで勤務していましたが、学士号の取得を目指してサンディエゴ大学のオンラインコースを受講、教育学士号を取得しました。卒業後の2004年から2021年まではミューンズ小学校の教師として勤務しました。「生徒が自分に合った方法で理解できるように、さまざまな解き方を提案し、その中から覚えやすくて理解しやすいものを選べるよう、工夫して授業を行っていました」と語りました。
オセケドさんは、日本人の祖父に会ったことがありませんが、実母のキエコさんが日本を訪れ、祖父の親戚と会うことができたそうです。養父は、よく近所の人たちを家に招いてお茶会を開いていたとのことです。オセケドさんは、養父母、そして実のご両親の両方から「人に優しく接すること」を教えられて育ちました。現在は4人の息子と9人の孫がおり、2011年に夫が他界した今、叔母のジュリアナ・スペスンゲルさんと一緒に暮らしています。当時のパラオでは、男性が料理や洗濯といった家事を教わることは珍しかったそうですが、実母の影響を受けてオセケドさんは自分の息子たちにも家事を教えました。今ではその息子たちが、「あのとき教えてくれて本当に良かった」と感謝の気持ちを伝えてくれるそうです。