インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第31回 ケネス・T・ウエハラさん

令和7年9月8日
    
ケネス・T・ウエハラさんと父、ハリー・K・ウエハラさん

現在68歳のケネス・T・ウエハラさんは、沖縄県出身の日系アメリカ人の父とアンガウル島出身のパラオ人の母のもとに生まれた、日系三世の方です。1950年代に父親が文化人類学者として、アンガウル州の伝統的な習慣を調査するために現地を訪れた際、母のマリアンナ・テイコさんと出会い、ご結婚されたそうです。
 
ウエハラさんが幼い頃は祖父母に育てられました。その後、両親とともに暮らし、ヤップ島やサイパンで小学校に通いました。その後ハワイへ渡り、予備校を経て、米アイオワ州のコー・カレッジに進学。そこで生物学、科学、経営学の3つの学士号を取得しました。
 
大学を卒業後、アソシエイツ・ファイナンシャル・サービス社及びハワイ銀行の支店長として、金融業界でのキャリアをスタートしました。この仕事により、ハワイからグアムへと移りました。そこでアメリカン・リアルティ社に入社し、不動産業に転向しました。また、同時期にグアム大学でMBA(経営学修士号)を取得しました。この仕事に触発され、ウエハラさんはミクロネシア・アプレイザル・アソシエイツ社を共同設立しました。この会社はミクロネシアで最大の不動産鑑定会社へと成長し、ガソリンスタンドやレストランチェーンなど、複数の事業を拡大させました。さらに、アメリカ空軍州兵(予備役)を経て、アメリカ空軍の現役兵士として活躍したときもあったそうです。その後、パラオ公共事業公社で2年間勤務するためにパラオへ戻りました。任期の終わりが近づいた頃、グアムにいるビジネスパートナーが重病となり、事業を後輩のヴァンス・レクライさんに引き継ぐまで約半年間、会社の経営のためにグアムとパラオを行き来する生活が続きました。2017年にはアンガウル州知事に選出され、2年間の任期を全うしました。その後、パンデミックを機に引退を決意し、パラオでの不動産鑑定業を閉じ、妻と共にアンガウル島へ戻りました。最近は、パラオ司法機関の事務局長に任命され、コロールへと転居したそうです。そんなウエハラさんは、妻のエイリーン・ウエハラさんと、2人の子供、4人の孫に恵まれ、家庭でも充実した日々を送っているようです。
 
ウエハラさんは日本語を話すことはできませんが、子どもの頃から日本語に強い関心を持っていたといいます。「両親は、私たちに聞かせたくない話は日本語で話していたんですよ」と、笑い交じりに言いました。空軍勤務中には、訓練のために沖縄を5回ほど訪れたことがあり、ある時、沖縄出身の料理人が彼のネームタグを見て興奮し、沖縄方言で話しかけてきたことがありました。しかし、ウエハラさんが理解できないとわかると、その料理人はがっかりして厨房に戻っていったそうです。その時、「沖縄には独自の言語があるのだ」と気づいたそうです。また、かつてハワイの沖縄県人会に所属していた際に、「『ウエハラ』という姓を持つ人は皆、沖縄県にルーツがあり、親戚関係にある」と聞いたことが、今でも印象に残っているそうです。そのほかにも、「沖縄の人々は本州の人々に比べてお米をあまり食べないことに驚いた」と話していました。父方の家族はよく沖縄料理を作っており、その味は今も姉によって受け継がれているそうです。
 
最後にウエハラさんは、「日本の秩序正しさ、他人への思いやり、そして自制心を尊敬しています」と語りました。また、日本とパラオの外交関係樹立30周年を振り返り、両国の長年にわたる友好関係に対して、深い感謝の意を表しました。