インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第26回メラン・ジェイン・ペドロさん

令和7年7月30日
    
 
メラン・ジェイン・ペドロさんは、国費留学の専修課程に応募して、大阪の専門学校エール学園で秘書学を学びました。
 
日本に興味を持ったきっかけは、家族の中でも特に大切に育ててくれた祖母の影響が大きかったそうです。祖母は日本語が堪能であり、また、父方の家系には日本人の祖先もいたことから、幼い頃から日本語や日本文化に触れる環境で育ちました。そのような家庭環境が、日本への興味を深めるきっかけとなりました。
 
パラオ高校を卒業後、国費留学に応募しました。合格発表までの間、グアム大学への入学手続きも並行して進めていましたが、合格したと知ると、すぐにグアム大学への入学を辞退し、日本への渡航準備に取り掛かりました。
 
1990年から1993年まで日本に留学し、最初の半年間は文化外国語専門学校で日本語を集中的に学んだ後、大阪のエール学園で秘書学を専攻しました。ペドロさんは桜の咲く頃に公園へ行き、桜の木の下で勉強をすることがとても好きだったそうです。また、日本人のクラスメイトとともに京都、奈良、神戸や名古屋などさまざまな地域を訪れ、多くの思い出を作りました。たとえば、京都でたくさんの祭りに参加したこと、奈良で親友のサトコさんと神社やお寺に行き、参拝の仕方を教わったこと、また、1990年の大阪で開催された「花の万博」で、パラオの展示ブースや伝統舞踊パフォーマンスを見に行ったことも思い出だそうです。ペドロさんの好きな日本食は日本のカレーです。「パラオで食べるカレーとは全く異なっていて、とてもおいしかったです。」と語っています。
 
来日して驚いたことは、日本の人口密度の高さでした。「小さな島から来たので、満員電車や、人混みにかなり驚きました。」といいました。ペドロさんは通勤ラッシュを避けるために早めに家を出るようなったそうです。これが次第に習慣となり、時間管理能力が自然と身についたといいます。「日本へ留学する機会を与えてくださったことにとても感謝しています。留学での経験は私の人生の糧となり、現在の私を形作らせてくれました。」と語りました。
 
留学を終えると、まずはパラオ短期大学の日本語教師としてアルバイトを始めました。父は、アメリカへの進学を希望していましたが、ペドロさんはパラオで祖母の介護をすることを選びました。1996年には、子供の福祉に携わる「パラオ・コミュニティ・アクション・エージェンシー」団体の一員となりました。同時に、幼児教育について学びを深めるため、パラオ短期大学で理系準学士を取得し、さらに、オンライン受講が可能なサンディエゴ大学で教育学士号、そして、教育指導に関する修士号を取得しました。ここまで学び続けた原動力は、「子供への教育こそがパラオ社会をより良くすることができる」という強い信念でした。
 
この信念のもと、パラオ・コミュニティ・アクション・エージェンシーのソーシャルワーカーとして勤務、その後、子供が適切な健康診断や歯科治療を受けられるために学校と病院の橋渡し役を担う歯科コーディネーターとして勤務、さらに2010年から2018年まではパラオ高校の副校長を務めました。「8年間のパラオ高校での勤務経験は、幼児教育から中等教育に至るまでの教育について理解を深める貴重な経験となりました。」と話します。その後は、公共事業局の行政官として働き、環境問題に対する知見も深めました。現在は、再びパラオ・コミュニティ・アクション・エージェンシーに戻り、乳幼児期の子どもを対象とする教育マネージャーとして活躍しています。
 
最後に、私たちは日パラオ関係について伺いました。「過去を振り返ると、昔のほうが日本とのつながりが深かったように思います。日本が委任統治していた頃を知る高齢層には、人を敬う姿勢や責任感の強さなど、日本人の価値観が根付いています。一方で、最近の若者の中にはそうした価値観が薄れてきているように感じます。だからこそ、日本から受けた良い影響を改めて認識し、それを次世代にも継承していってほしいと願っています」と語ってくださいました。