インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第29回 スミコ・ワシサン・ヤウさん
令和7年7月23日


スミコさんが8歳の頃、戦争が終わり、エサール州の小学校に通い始めました。当時はまだインフラが整っておらず、家から学校までの道のりは険しいものでした。毎日、丘を登り、ジャングルを歩き、さらには川を泳いで渡らなければなりませんでした。それでもスミコさんは通学を続け、5年生までの教育を受けました。
その後、コロール州にあるエマウス高校で中等教育を受けたいと希望していましたが、養母の意向により、専業主婦としての道を選ぶことになりました。「当時はそれが当たり前の考え方でした。教育を受けることはできませんでしたが、それでも今の人生には概ね満足しています」と語っています。
スミコさんの夫・エドワード・ヨウさんはアメリカ海軍に勤務していたため、その仕事の都合で日本の横須賀に3年間滞在する機会がありました。その滞在中、スミコさんは実父・セイフクさんと再会することができました。父は沖縄県から会いに来てくれたそうです。スミコさんは日本語を学んでいたため、父と少し会話を交わすことができました。また、叔母のフジコさんとトミコさんにも会うことができ、心温まる感動の再会となりました。
現在はアメリカで暮らしており、4人の子どもと4人の孫に恵まれています。旅行好きなスミコさんは、これまでにカナダ、ドイツ、イタリア、フランス、イスラエルなど多くの国を訪れてきました。次は息子と一緒にロシアや中国にも行ってみたいと話していました。
最後に、日・パラオ関係について伺ったところ、「二国間関係はとても良好だと思います。今後も両国が助け合い、良好な関係を築いていってほしいと思います」と語ってくださいました。