インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第27回 リョウコ・ニルタンさん
令和7年5月22日


リョウコ・ニルタンさんは、今年で80歳を迎える日系パラオ人です。ご両親ともに日系パラオ人で、父方の祖父はアンガウル島でリン鉱石の採掘会社に勤務し、母方の祖父は旧日本軍の士官を務めていたそうです。
ニルタンさんが幼少期の頃はアンガウル島で暮らしていました。当時は日本語が公用語として使われており、ご両親には多くの日本人の友人がいました。また、家庭内でも日本語で会話をしていたそうです。ニルタンさんが学校に通い始める頃には戦争が終わり、学校教育もアメリカ式に移行したため、授業は英語で行われるようになりました。それでも、アンガウル島に根付いた日本文化はパラオ人に継承され、うどんや煮付け、味噌汁やお汁粉などを作って食べていたそうです。
アンガウル小学校を卒業後、コロール州のミゼンティ高校に進学しました。当時受けられる教育は9年生(中学校卒業程度)までだったため、より良い教育をもとめてサイパンに渡り、現地の高校を卒業しました。卒業後はパラオに帰国し、ミゼンティ高校の教師として働きました。その後、現在の夫と小売業を始め、現在も家族でその商売を続けています。
ニルタンさんのご両親は、よく日本に住む兄弟に会いに旅行していたそうです。時々、親戚が日本からパラオに来ることもあったようです。ニルタンさんが初めて日本を訪れたのは2001年で、同じく日系の従兄弟エビル・イナボさんと一緒に親戚に会いに行きました。親戚は2人を温かく迎えてくれ、日本語が堪能なエビルさんが通訳をしながら横浜や横須賀を巡りました。船の博物館の見学、桜散策、祭りの参加等、多くの思い出があるそうです。滞在中は親戚の家に招かれ、多くの日本料理をご馳走になったといいます。ニルタンさんは「日本旅行の最終日には、帰りたくないほど寂しい気持ちになったことを覚えています」と語ってくれました。
現在は3人の息子、3人の娘、9人の孫、そして5人のひ孫に恵まれています。そして今も、母から教わったレシピをもとに、家族に日本食を振る舞っているそうです。
ニルタンさんはご自身が日系パラオ人であることに誇りを持っています。「日本文化や、親切で礼儀正しい日本人が大好きです。パラオに貢献してくださった多くの活動に感謝しています。これからも良好な二国間関係が続いていくことを心より願っています」とお話しくださいました。