パラオ国会議員インタビュー特集:第1回 ギブソン・カナイ下院議長
令和7年5月19日

ギブソン・カナイ下院議長及びエルシー・カナイ議長夫人のお二人と対談し、これまでの政治キャリアや、日本とのつながり、日本に対する要望等についてお話を伺いました。
政治家としての地域社会への貢献
カナイ議長は、米国ニューメキシコ州のサンタフェ・カレッジを卒業し、故郷であるバベルダオブ島北端に位置するガラルド州へ戻ってきました。当時、ガラルド州は、パラオの中心地であるコロール州と比較して開発が遅れており、カナイ議長は、故郷の発展を支援する必要性を感じたそうです。これが、政治家を志す原点となったそうです。カナイ議長は、1990年、ガラルド州議会議員として初当選し、以降30年以上続く政治家としてのキャリアをスタートさせました。また、その傍ら1995年からパラオの国会スタッフとして、議会運営経験を着実に重ねました。
カナイ議長は、4期16年間、ガラルド州議会の一員として、地域社会にとり重要な予算獲得や、製氷機等、地元の方々にとって必要な設備の確保に至るまで、あらゆる方法でガラルド州の発展に貢献しました。こうした長年の努力により、カナイ議長は、ガラルド州民の方々の信頼を着実に獲得し、2009年、ガラルド州選出の国会議員として初当選を果たしました。カナイ議長は、政治家のみならず議会スタッフとしての豊富な議会運営経験を活かし、下院院内総務(下院ナンバー3)を3期12年務めた他、保健・社会・文化委員長を1期4年務めました。2024年11月、カナイ議長は、国会議員として5回目の当選を果たし、2025年1月、初めて議長に就任しました。
長期的な課題である気候変動への対応
日本への要望として、カナイ議長は、喫緊の課題である気候変動について言及しました。カナイ議長は、ガラルド州の海岸線で実際に発生している影響について語り、海面上昇が海岸やビーチを侵食していると説明しました。
昔、ガラルド州では海岸線を保護するために岩が積み上げられ、防壁が造られていましたが、その防壁は年月を経て侵食され、今では波が直接海岸に打ち寄せ、ビーチを洗い流してしまっているそうです。この現象は、美しい自然に影響を及ぼすだけでなく、海洋生物の生態系と沿岸での漁業に打撃を与えており、カナイ議長は深刻なものであると指摘します。
この問題に対処するため、カナイ議長は、波の圧力を軽減する緩衝壁のような構造物やテトラポッド型のコンクリート構造物の沖合いへの設置や、問題の評価と解決策の策定を支援してくれるような専門家が必要であると説明しました。また、このような対策を日本の支援により実現できると大変ありがたいとも語っていました。
「カナイ」性の由来
カナイ議長は、自身の名字である「カナイ」性について、お父さんは純血のパラオ人であるものの、日本統治時代にガラルド小学校で教えていた日本人教師のカナイ先生にちなんで、お父さんが「カナイ」性を名乗ったのが由来だそうです。
また、カナイ議長は、お父さんから聞いた日本統治時代の思い出として、ガラルド小学校に今でも存在する高松宮殿下の御来訪記念碑に向かって、毎朝、生徒が頭を下げ、敬意と規律を示すために一日を始める習慣があったそうです。
議長夫人:日本との先祖の絆
カナイ議長夫人は、自身と日本との繋がりについて、母方の曾祖父は日本人であり、「ミオザワ」という名字だったそうです。議長夫人は、この祖先のルーツに誇りを持っており、日本語を公用語としてアンガウル州憲法で定られており、世界で唯一の憲法であること等、日本とアンガウルが共有する歴史について語ってくださいました。
政治家としての地域社会への貢献
カナイ議長は、米国ニューメキシコ州のサンタフェ・カレッジを卒業し、故郷であるバベルダオブ島北端に位置するガラルド州へ戻ってきました。当時、ガラルド州は、パラオの中心地であるコロール州と比較して開発が遅れており、カナイ議長は、故郷の発展を支援する必要性を感じたそうです。これが、政治家を志す原点となったそうです。カナイ議長は、1990年、ガラルド州議会議員として初当選し、以降30年以上続く政治家としてのキャリアをスタートさせました。また、その傍ら1995年からパラオの国会スタッフとして、議会運営経験を着実に重ねました。
カナイ議長は、4期16年間、ガラルド州議会の一員として、地域社会にとり重要な予算獲得や、製氷機等、地元の方々にとって必要な設備の確保に至るまで、あらゆる方法でガラルド州の発展に貢献しました。こうした長年の努力により、カナイ議長は、ガラルド州民の方々の信頼を着実に獲得し、2009年、ガラルド州選出の国会議員として初当選を果たしました。カナイ議長は、政治家のみならず議会スタッフとしての豊富な議会運営経験を活かし、下院院内総務(下院ナンバー3)を3期12年務めた他、保健・社会・文化委員長を1期4年務めました。2024年11月、カナイ議長は、国会議員として5回目の当選を果たし、2025年1月、初めて議長に就任しました。
長期的な課題である気候変動への対応
日本への要望として、カナイ議長は、喫緊の課題である気候変動について言及しました。カナイ議長は、ガラルド州の海岸線で実際に発生している影響について語り、海面上昇が海岸やビーチを侵食していると説明しました。
昔、ガラルド州では海岸線を保護するために岩が積み上げられ、防壁が造られていましたが、その防壁は年月を経て侵食され、今では波が直接海岸に打ち寄せ、ビーチを洗い流してしまっているそうです。この現象は、美しい自然に影響を及ぼすだけでなく、海洋生物の生態系と沿岸での漁業に打撃を与えており、カナイ議長は深刻なものであると指摘します。
この問題に対処するため、カナイ議長は、波の圧力を軽減する緩衝壁のような構造物やテトラポッド型のコンクリート構造物の沖合いへの設置や、問題の評価と解決策の策定を支援してくれるような専門家が必要であると説明しました。また、このような対策を日本の支援により実現できると大変ありがたいとも語っていました。
「カナイ」性の由来
カナイ議長は、自身の名字である「カナイ」性について、お父さんは純血のパラオ人であるものの、日本統治時代にガラルド小学校で教えていた日本人教師のカナイ先生にちなんで、お父さんが「カナイ」性を名乗ったのが由来だそうです。
また、カナイ議長は、お父さんから聞いた日本統治時代の思い出として、ガラルド小学校に今でも存在する高松宮殿下の御来訪記念碑に向かって、毎朝、生徒が頭を下げ、敬意と規律を示すために一日を始める習慣があったそうです。
議長夫人:日本との先祖の絆
カナイ議長夫人は、自身と日本との繋がりについて、母方の曾祖父は日本人であり、「ミオザワ」という名字だったそうです。議長夫人は、この祖先のルーツに誇りを持っており、日本語を公用語としてアンガウル州憲法で定られており、世界で唯一の憲法であること等、日本とアンガウルが共有する歴史について語ってくださいました。
