インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第26回 エビル・ミサコ・メレブさん

令和7年5月7日
    

エビル・ミサコ・メレブさん(現在88歳)は、日系パラオ人です。1937年に、アルモノグイ州のイメオンのクレラン・オシレクさんと、東京都出身のミヤザワ・コタロウさんの間に生まれました。ミヤザワさんは、第二次世界大戦前にアルモノグイ州のパイナップル缶詰工場で会計士として働いていました。現在、ミサコさんは10人の子供と、たくさんの孫や曾孫に恵まれています。
 
ミサコさんは生後間もない頃、祖父母のギルロン・スリアル酋長とベンコル・スリアルさんに養子として迎えられ、アルモノグイ州のイメオンで育ちました。当時は戦時中で、空襲により戦争が終わるまで学校に通うことができませんでした。彼女は6年生で卒業しました。それは当時、パラオで受けられる最高の教育水準でした。
 
ある時、ミサコさんの親戚のレケメシク酋長が日本に訪れました。酋長はミサコさんの父親のミヤザワさんと出会い、「パラオにあなたの娘がいる」と伝えました。それを聞いてミヤザワさんは驚きました。それまでパラオに娘がいることを知らなかったからです。ミヤザワさんは、酋長に時計と日本人形を渡し、ミサコさんに届けるよう頼みました。
 
その後、ミサコさんは、夫のギルボコトレン・メレブさんと一緒にはじめて日本を訪れました。そこで父親のミヤザワさんと会うことができました。ミヤザワさんは、「もう少し早く知っていたら良かった」と、会えなかったことに深い悲しみを感じていたと話しています。
 
その後、2回、日本へ旅行しました。ミサコさんは滞在中、「ホテルを転々と変えるのはなぜか」と不満を言ったことがあります。夫のメレブさんは日本語を話すので、その言葉を父親に通訳してくれました。するとミヤザワさんは笑って、「日本のいろいろなホテルを体験してほしいからだよ」と答えました。
 
日本旅行のハイライトの一つは、ロシアのサーカスを観ることでした。アクロバット等さまざまな演技に圧倒されましたが、ミサコさんが決して忘れられない瞬間は、ゴリラがバイクに乗ってサーカスのアリーナを回った場面でした。ゴリラが突然近くに現れ、思わず叫んでしまったそうです。ミヤザワさんは笑いながら「ゴリラは観客を楽しませるためにやっているんだよ」と言いました。ミサコさんの父親は、東京を回るために高級車を手配しました。「車を持っていないのは、車の維持が大変だからだ。必要な時に車を借りる方が便利なんだ」と説明していました。訪問中、ミサコさんは相撲を観戦し、相撲取りが食べる食事も体験しました。箸を使うのは難しかったので、レストランではよくフォークを頼んでいました。彼女のために、ミヤザワさんはいつもフォーク・ナイフを持ち歩いてくれました。また、ミサコさんは、電車に乗るのが不安だったため、飛行機で北海道に旅行しました。特に鮭が美味しかったと話しています。私たちはミサコさんに一番好きな食べ物について尋ねました。彼女は「餅が一番好き」と答えました。ミサコさんの父親はそのことを知っていたので、旅行する度におやつとして餅を隠し持っていたそうです。
 
一方、ミヤザワさんもパラオに2度訪れました。ミヤザワさんは、娘の夫が使い古したトラックを運転しているのを見て驚き、新しい車を買うためのお金を渡しました。農作業が好きなミサコさんは、ミヤザワさんに「トラックは畑に行くときにとても便利な車なんだよ」と笑って答えました。
 
インタビューの最後に、私たちはミサコさんに日本とパラオの外交関係について尋ねました。彼女は、日本がパラオに多くの支援をしてくれたことを話し、両国の関係がさらに強固なものとなることを望んでいると述べました。