パラオの16州紹介シリーズ :1.ソンソロール州

令和7年4月4日

ソンソロール州の紹介

当館では、戦後80周年の機会を捉え、日本と血縁・地縁が深い「トクベツ」(パラオ語)な関係にあるパラオ16州に焦点をあて、各々の州の人々・文化・歴史・自然を紹介する新シリーズを開始します。その第一回目がソンソロール州です。
 
このシリーズでは、実際に各州を訪問し、住民へのインタビューを行い、日本の史跡等を紹介しています。
 


~ソンソロール島に残る史跡~

~ネスター家インタビュー:ソンソロール州の歴史~

    

2025年2月2日、当館では、兄弟であるカリスト・ネスター氏とパトリック・ネスター氏にソンソロール州の歴史についてのインタビューを行いました。ネスター兄弟は、第二次世界大戦中の出来事について、ご両親や年上の家族から聞いたことを話してくださいました。

第二次世界大戦前、多くの日本人がリン鉱石発掘のためにソンソロール島に来ました。そして、採掘したリン鉱石を運ぶために、まず島の入り口に桟橋をつくったそうです。その後、リン鉱石を積む曳舟(タグポート)が桟橋に停泊できるよう、ダイナマイトで爆破して水路をつくりました。そのダイナマイトを保管していた貯蔵庫は、カリスト氏の土地に現在でも残っています。また、桟橋の近くには残されたリン鉱石の山が二つ今でもあります。
 
リン鉱石採掘の会社は「ナンタク」と呼ばれており、他にも島で、鰹節・乾燥ナマコ製造を始めました。鰹節製造工場を運営していたのは、佐藤さんという名前の人物で、その工場の土台が今でもそのまま港の桟橋付近に残っています。

第二次世界大戦が始まり、商鉱業に従事していた日本人は島を離れ、代わりに、1,000人ほどの日本兵がソンソロール州に来ました。ソンソロール島には約700人、残りの約300人はメリル島に駐留しており、ヨンジュウタイ、キカンゴ、サント、ジュイチタイの4つの大隊に分かれて、それぞれが特定の任務を帯びていました。当時、ソンソロール島には約200~300人のソンソロール住民が残り、他の住民たちは、近くのファンナ島に移住しました。ファンナ島の村人たちは、数週間おきにソンソロール島に駐留している日本兵のために食料を運んで提供していたそうです。
 
1945年に戦争が終わり、最後まで生き残った日本兵は300人以下で、その後日本に戻ったと聞いています。

1974年、生き残った日本兵のうち、ヨンジュウタイのリーダーである岡本氏がソンソロールに戻り、サルバドール・キントキ氏などの地元住民の協力を得て、戦死した日本兵の集団墓地を探し当てました。岡本氏は、その場で焼骨をし、追悼式を行いました。
 
続いて、1975年には、東海大学の関係者が、戦死した日本兵の遺体を収集して火葬し、日本へ持ち帰るためにソンソロール島に派遣されました。全ての遺骨を日本へ持ち帰ることが難しかったため、残りの灰は海へ蒔くことを検討しましたが、当時最高位の酋長による思いやりのある提案により、教会の近くに埋葬することになりました。現在でもその残りの戦死した日本兵の灰が、教会の前の土地に埋葬されています。