インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第21回 シェルマ・ナガタさん
令和7年3月24日

シェルマ・ナガタさんは、日本政府(文部科学省)奨学金制度を利用して日本の専修学校で学んだ帰国留学生です。大阪鉄道観光専門学校でホテルマネジメントを学びました。
シェルマさんの祖父が千葉県出身の日本人であることがきっかけで日本に興味を抱き、1996年にパラオ高校を卒業した後、日本政府奨学金を利用して日本に留学しました。最初の6ヶ月間は、日本語の勉強に専念しました。その際、日本語由来のパラオ語や、パラオ高校の日本語授業で学んだ基本知識が役立ったと言います。「初めのうちは特に、言葉の壁につまずき大変な時もありました。特に、技術が進歩した現在とは違い、当時は自分に適した教材を見つけることが大変でした。」と言います。多くの留学生が挫折し、帰国してしまう中で、ナガタさんは決して諦めませんでした。その背景に、先輩のマサミ・アリソンさんや先生のマルオカさんの存在がありました。マルオカ先生は英語が堪能にもかかわらず、ナガタさんといる間は、あえて日本語でしか話しませんでした。おかげで、ナガタさんは留学中に語学力がぐんと伸び、読む、書く、話す自信をつけました。
社交的な性格のナガタさんは、街探索が好きで休日も積極的に出かけました。あるときはパラオの学生に会う為に東京の渋谷へ行き、あるときは当時のパラオ大統領、故・ナカムラ・クニオ氏と会うために三重県へ別のパラオの学生と一緒に訪れました。また、ラオス、カンボジア、メキシコ、モロッコ、フィジーなど、さまざまな国の留学生と友達になることができました。留学中、ほとんど家族と連絡を取ることはできませんでしたが、幸いなことに彼女の父親はコンチネンタル・ミクロネシア航空(現在のユナイテッド航空)で働いていたため、パラオへ一時帰国することができたそうです。
留学を終えると、2000年から2013年まで日本航空会社のグランドスタッフを勤めました。当期、パラオにはナガタさんともう一人のパラオ人しかいなかったため、搭乗案内やチェックイン、アナウンスは日本語で行い、また、日本の空港で行われる研修に何度も参加したことで、仕事で日本語を大いに役立てられたそうです。2014年からはコロール州公有地管理局で不動産専門職として勤務しています。「今の仕事も好きですが、日本語を使うことがなくなり、日本語の自信を失いつつあります。」と話しました。
最後に、シェルマさんは「日本とパラオの関係は素晴らしいです。日本は私たちの学校や、橋、道路等のインフラ整備に多くの支援をしてくださいました。今後も両国の良好な関係がさらに強化されることを願っています。」と述べました。