インタビューシリーズ~パラオの日系人~第24回 ケノスケ・スズキさん
令和7年2月21日


日系三世代目のケノスケ・スズキさんにお話を伺いました。父は、日系二世代目ケンボ・スズキさん、母は同じく日系二世代目のサヨコ・サクマさんです。父方の祖父は北海道出身で、第二次世界大戦前にアンガウル州でリン鉱石の採掘会社に勤務していました。祖父は戦争中に行方不明になり亡くなったとのことです。
スズキさんは5歳までアンガウル州で暮らし、その後、コロール州に引っ越し、マリステラ小学校、パラオ高校に通いました。その後、10年間はサイパンに、14年間はグアムで暮らしました。海外での生活を通して、モーターバイクが好きになり、2014年にパラオに戻った後は「サンダーチーフス・ベラウ」というバイカーズグループを設立しました。メンバーの中には日本在住の人もいます。「クリスマスの時期にはサンタの衣装を着てバベルダオブ島を走り回り、子供たちにプレゼントを配ります。また、週末にはバベルダオブ島を回り、小さなお店に立ち寄って食事や飲み物を購入することで地域のビジネスをサポートしています。」と話しました。
アンガウル州の初代州知事を勤めた父親の跡を継ぎ、スズキさんは2018年から2022年までアンガウル州知事を務めました。知事としての任期中、彼は猿の保護区を作るなど観光関連のプロジェクトを立ち上げました。しかし、彼は「アンガウル州に多くの訪問者を迎える為に、病院や給水設備等のインフラ整備や、安全面での課題が改善される必要がある」と述べました。
日本に在住しているスズキさんの親戚はパラオを訪れたことがあり、また彼の父親も親戚に会いに日本に行ったことがありますが、スズキさん自身は日本に行ったことがありません。彼は「もし日本に行くことがあれば、バイクツアーをしたいです。」と言いました。
スズキさんは日本政府がパラオに提供してきた多大な支援と援助に感謝しています。「今後、ビザの制限が緩和され、両国の国民にとってより住みやすく、働きやすいような環境が作られることを願っています。」と述べました。
スズキさんは5歳までアンガウル州で暮らし、その後、コロール州に引っ越し、マリステラ小学校、パラオ高校に通いました。その後、10年間はサイパンに、14年間はグアムで暮らしました。海外での生活を通して、モーターバイクが好きになり、2014年にパラオに戻った後は「サンダーチーフス・ベラウ」というバイカーズグループを設立しました。メンバーの中には日本在住の人もいます。「クリスマスの時期にはサンタの衣装を着てバベルダオブ島を走り回り、子供たちにプレゼントを配ります。また、週末にはバベルダオブ島を回り、小さなお店に立ち寄って食事や飲み物を購入することで地域のビジネスをサポートしています。」と話しました。
アンガウル州の初代州知事を勤めた父親の跡を継ぎ、スズキさんは2018年から2022年までアンガウル州知事を務めました。知事としての任期中、彼は猿の保護区を作るなど観光関連のプロジェクトを立ち上げました。しかし、彼は「アンガウル州に多くの訪問者を迎える為に、病院や給水設備等のインフラ整備や、安全面での課題が改善される必要がある」と述べました。
日本に在住しているスズキさんの親戚はパラオを訪れたことがあり、また彼の父親も親戚に会いに日本に行ったことがありますが、スズキさん自身は日本に行ったことがありません。彼は「もし日本に行くことがあれば、バイクツアーをしたいです。」と言いました。
スズキさんは日本政府がパラオに提供してきた多大な支援と援助に感謝しています。「今後、ビザの制限が緩和され、両国の国民にとってより住みやすく、働きやすいような環境が作られることを願っています。」と述べました。