インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第20回 ブレンダリン・ジョセフさん

令和7年2月13日

ブレンダリン・ジョセフさんは、1994年に日本政府の奨学金を得て、東京の文化外国語専門学校で一年間日本語を学んだ後、中央大学で土木工学を専攻しました。
 
日本に興味を持ったきっかけは、当時のパラオにおいて、日本が観光業から建設・土木業に至るまで幅広い分野で活発に関与していたことにあります。ブレンダリンさんは、日本で学ぶことが帰国後のキャリアの可能性を広げると考え、日本留学を決意しました。この思いが次第に強くなり、高校卒業後、本奨学金プログラムの試験を受験しました。合格したものの、家族の病気のために一度は辞退せざるを得ませんでした。しかし、諦めることなく、翌年の1994年に再挑戦し、再び合格。ついに日本へ留学することが決まりました。
 
まずは日本語を習得するために一年間、文化外国語専門学校に通いました。言語を学ぶにはその文化に浸ることが重要だという信念を持って学んだため、習得は早かったといいます。中央大学に進学後は、バレーボール部に所属し、レギュラーメンバーとして活躍しました。当時としては非常に珍しいことだったため、「一部の教師や学生からは沖縄県出身だと思われていました。」と笑いながら話してくれました。部活動の遠征で日本各地を訪れることができたそうです。また、「マウンテン」というカフェでアルバイトをし、そのオーナーが多くの大洋州諸島出身の学生を雇っていたこともあり、そこで多くの友人を作り、日本での学生生活を楽しむことができたといいます。
 
しかし、ある日、とある事件をきっかけに、ブレンダリンさんは大学から離れて暮らすようになりました。長時間の電車移動とホームシックが重なり、次第に生活が困難になり、最終的に本奨学金プログラムの期間が終了する前に日本を離れる決断をしました。
 
完全に思い描いていた通りにはならなかったものの、ブレンダリンさんはその後も努力を続け、新たな機会を求めました。アメリカに移住し、高級小売業の顧客サービス担当として勤務しました。そこでは多くの日本人の常連顧客と接することができ、習得した日本語を活かすことができたそうです。その後、ブレンダリンさんはオーストラリアの奨学金を得て、バヌアツの南太平洋大学エマルスキャンパスで法学を学び、2005年に法学士号を取得しました。さらに、ハワイ大学マノア校のウィリアム・S・リチャードソン法科大学院に進学し、修士号と法務博士号を取得しました。
 
学業を終えたブレンダリンさんはパラオに戻り、2009年から2010年まで司法長官補として勤務しました。その後、夫と共にグアムに移住し、数年間、検事として働きました。現在はパラオでミクロネシア法務サービス(MLS)の顧問弁護士として仕事に励んでいます。彼女は、毎日、「人の役に立つことが出来たか」を振り返りながら仕事をしています。仕事を通じて社会に恩返しをすることが大切だと信じ、現在もやりがいを感じながら働いているそうです。
 
私たちはブレンダリンさんに日本とパラオの外交関係についてどう思うかを尋ねました。「日本が長年にわたりパラオを支援してくれたことで、両国の関係は強化されていると思います。今後もその関係が続いてほしいです。」と述べました。