インタビューシリーズ~パラオの日系人~第22回レオン・グリバートさん

令和6年12月30日

 

アンガウル州に住むレオン・グリバートさん(64歳)は、日系三世代目にあたります。父はエンドウ・マサオさん、母はアキタヤ・ハルコさんで、祖父はともに栃木県出身の日本人です。戦前、ペリリュー州には多くの茨城県出身の日本人が、またアンガウル州には多くの栃木県出身の日本人が住んでいました。彼の叔父、アキタヤ・トシオさんは戦後にアンガウルを訪れました。
 

グリバートさんはこれまでに3回、日本を訪れました。初めての訪問は、日本人の血を引く妻と一緒に親戚に会うためのもので、残りの2回は仕事で京都と東京を訪れたものです。「訪問中に食べた海鮮やラーメンがとても美味しかったことを今でも覚えています」と話していました。
 

長年にわたり、グリバートさんはアンガウル州議会で働いていました。憲法により日本語が公用語として認定された際には、州事務所のスタッフとしてその活動に関わっていました。「なぜ日本語がアンガウル州の公用語になったのか」と尋ねたところ、「当時、アンガウル州には多くの人々が日本語を話し、読み書きできる状況だったからです」と答えました。昔、アンガウル州のコミュニティセンターの向かいには、住民が日本語を学ぶための日本学校がありました。
 

父、エンドウ・マサオさんは1970年代に日本からの慰霊団を頻繁に迎えており、その団体には、アンガウル州に日本の記念碑を建設するために重要な役割を果たしたフナサキ・フミオ氏やクラタ氏が含まれていました。この記念碑はこれまでに4度、場所を移動しましたが、現在はグリバートさんの土地にあり、記念碑は日本の方向を向いて建てられています。
 

今年は日本とパラオの外交関係が30周年を迎えるにあたり、「日本とパラオには特に食文化において多くの共通点があります。また、アンガウル州では今でも毎年運動会が行われています。技術の進歩により、両国がより近い距離で良好な友好関係を維持できることを期待しています」と述べました。