インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第18回のレスタ―・レケメシクさん
令和6年12月9日

レスタ―・レケメシクさんは、文部科学省(MEXT)が提供する日本政府奨学金の卒業生の一人です。レケメシクさんは、1985年から1988年まで日本の専修学校に留学しました。
パラオ高校で3年間建築を学んだ後、本奨学金制度に応募しました。まずは半年間文化外国語専門学校で日本語を学び、その後、中央工学院専門学校で建築を学びました。「授業についていくことが大変で、夜中まで勉強したことが何度もありました。」と当時のことを懐かしく話してくださいました。
小学生の頃に日本学生との交換留学プログラムに参加したことがあるレケメシクさんは、その当時のことも話してくださいました。「日本での生活は、フィジー、ミクロネシア連邦、パプアニューギニア、パキスタンなど、さまざまな国の学生たちと寮で過ごしました。日本のビジネスマナー、特に時間の使い方や予算管理について学びました。また、日本の食べ物が好きで、ラーメンをよく食べていました。長野県への修学旅行や、日本の友人たちと豊島を訪れたことも良い思い出です。」
中央工学院を卒業した1988年は、パラオに日本人観光客が多数おり、観光業の需要が高まっていました。レケメシクさんは観光ガイドとして勤務し、次に、パラオ高校の教師として勤務しながら、夜はニッコーホテルでフロント係を務めました。その後、サイパンに移住し、1994年から1999年まで教師として勤務しました。新たな挑戦を求めて、1999年に三重県で10ヶ月間、日本の大工職人による研修を受け、伝統的な大工技術を学びました。研修後は、パラオ短期大学で大工の教師として勤務し、2016年に退職しました。
現在、レケメシクさんは「Mile44 Construction」という建設会社を経営しており、相談業務、材料の販売、そして家の建設を行っています。また、特別契約でパラオ短期大学のパートタイム教師として勤務しています。「何もせずに座っているのが嫌だから。」と話しながら、若い学生たちに、三重県で学んだ日本の大工技術を教え続けています。
レケメシクさんは、今後も継続してパラオ人学生が日本政府の奨学金を利用し、卒業後も日本で実務経験を積む機会を得ることで、建築分野においてもパラオの発展に貢献する人材が育成されることを期待していると話してくださいました。