インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第16回のリダン・ギラルマウさん

令和6年9月27日

リドン・ギラルマウさんは、文部科学省(MEXT)が提供する日本政府奨学金の卒業生の一人です。1991年から1994年まで、日本の専修学校に留学しました。

最初に文化外国語専門学校で6ヶ月間日本語を学び、その後、日本電子工学院で電気工学を学びました。日本語の難しさについて尋ねたところ、「新しい言語を学ぶのは大変でしたが、日本語は非常に興味深かったです。なぜなら、多くの日本語がパラオ語として使われていることに気づいたからです。」と答えました。

ホームステイや祭りに参加したことは良い思い出だそうです。「高校生の頃は寮で過ごしていたため、留学してからホームシックを感じたことは一度もありませんでした。日本の食べ物は好きですが、納豆だけ苦手でした。ホストファミリーを喜ばせたくて、納豆を2回だけトライしました。」と話しました。

帰国後、パラオで三井物産電力事業株式会社に勤務した後、政府関係の仕事に従事しました。その後、専門知識をさらに深めるため、オーストラリア政府の奨学金制度を利用し、学習を続けました。1995年から2000年までパラオ電力会社(旧公共事業公社)に勤め、2003年から2021年までパラオ公共事業公社の発電所に勤務、最終的には発電所所長に就任しました。現在、ギラルマウさんは土地測量管理委員会(Bureau of Land and Survey Licensure Board)やパラオコミュニティアクション機構(Palau Community Action Agency)など、いくつかの組織で委員を務めており、非営利団体や私立学校の支援にも積極的に関わっています。

仕事を通じて何度か日本を訪れる機会があり、もし再び日本を訪れることがあれば、渋谷に行きたいと答えました。渋谷にある有名な交差点は日本に住んでいた頃によく通った場所だそうです。また、釣りと農業が好きで、田舎の農場も訪れたいと話していました。

日本での経験が、彼の価値観を大きく変え、現在の自分を形作ったと言います。時間を守ることや、正確な情報を共有することは、今でも心がけていることだそうです。ギラルマウさんは、パラオ人学生が日本で学びを深めた後、日本で働く機会が与えられることを望んでいます。日本で経験を積み、日本の労働倫理を学ぶことが、母国のコミュニティに貢献するチャンスになると考えています。