インタビューシリーズ~パラオの日系人~第19回トシコ・アラバドゥルさん

令和6年9月12日


現在81歳のトシコ・アラバドゥルさんは、日系パラオ人です。彼女の母親、ディラメルコール・ウエレマセさんはペリリュー州出身で、実父は日本統治時代にペリリューで大工として働いていたアキヤマ・トシジさんという日本人です。
 

第二次世界大戦開戦後の1943年にアラバドゥルさんが生まれた時、まだ7、8か月であり、実父のことは覚えていません。母から聞いた話によれば、戦争が始まるとペリリュー島の人々はバベルダオブ島のガラルド州に避難しました。母のディラメルコールさんは、夫と離れ、アラバドゥルさんを連れてペリリューの人々とともにバベルダオブ島へ向かいました。戦後、ペリリュー島に戻った時、村は荒廃しており、父のアキヤマさんの行方も分かりませんでした。
 

アラバドゥルさんはペリリュー小学校に通い、その後コロール州のミゼンティ高校に進学しました。高校卒業後、ハインリック・アラバドゥルさんと結婚し、主婦として家庭を支え、息子1人と養女2人を育てました。
 

結婚後、アラバドゥルさんは夫と共に3度、日本を訪れ、父を探しました。1度目は大阪、2度目は東京、3度目は京都と新潟を訪れました。3度目の訪問では、家族ぐるみで知り合った日本人漁師のセイジローさんが捜索を手伝い、日本の新聞に捜索広告を出しました。その広告をきっかけに、アラバドゥルさんは新潟県で父の末弟と再会することができました。「彼に会えたとき、本当に嬉しかった。」と涙ぐみながら語りました。
 

アラバドゥルさんは、新潟県で見た巨大な木が今でも記憶に残っています。「その木は、8人くらいの人が手をつないで囲めるくらい大きかったです。」と言いました。また、日本での食事や体験はすべて気に入り、素晴らしい思い出になったと話しました。