インタビューシリーズ~パラオの日系人~第18回マーガレット・マツタローさん

現在76歳のマーガレット・マツタローさんは日系パラオ人の3世で、祖父は日本人です。彼女は結婚後、マツタローという名字を名乗っていますが、元々はイチローという名字でした。これは、父親がパラオ人のイチローさんの養子となり、イチローの名字を名乗ったためです。日本人の祖父の名字はミワさんだったそうです。彼女の父親は1年生から3年生までペリリュー島の日本人学校に通っていました。「父に祖父のことを尋ねても、戦時中に亡くなったのか、それとも生き延びたのかはわかりません。パラオ人の家族に養子として引き取られた父は、彼らにとても感謝していたため、実父を探そうとは思いませんでした。」と語っています。
マーガレット・マツタローさんはグアムのJFK高校に通い、グアムで暮らしながら、ユナイテッド航空と経営統合したコンチネンタル航空の子会社、コンチネンタル・ミクロネシアの客室乗務員として定年まで働きました。現在はパラオのコロール州に住んでおり、時々ペリリュー島にも訪れます。「子供の頃、ペリリュー島で第二次世界大戦の戦跡として残っていたコカコーラの瓶や不発弾を使って友達と遊んだことを覚えています」と話しました。
学生時代、最初は英語が話せず、大変な思いをしたそうですが、時間をかけて習得し、現在では流暢な英語を話す彼女からは、言葉に苦労した形跡はまったく感じられません。彼女は当時、学校に行くために毎日ピーナッツバターとジャムのサンドイッチを作っていたことを思い出します。それが唯一、当時手に入るもので作ることができた食べ物だったからです。当時のことについて、「悲しくはなく、それが当時の現実だっただけです」と振り返っています。
今年、日本とパラオの外交関係樹立30周年を迎えるにあたり、マツタローさんは「これまで築いてきた関係を継続し、これからも共に前進していきたい」と語りました。