インタビューシリーズ~パラオの日系人~第16回ススム・モリさん
令和6年8月20日


(ススムさんの父親)
現在83歳、日系パラオ人のススム・モリさんは1941年、パラオ人の母シオミ・ロイタン・レマルさんと横浜市出身のモリ・ヨキチさんの間に生まれました。ペリリュー島出身の祖母サモアン氏に養子として引き取られました。1人の息子と3人の娘がおり、息子は父親と同じ「モリ・ヨキチ」と名付けられました。現在、彼はアリス・モリ夫人と結婚し、ペリリュー州に住んでいます。
彼が学生の頃、エマウス高校に通いましたが、中退してしまいました。「学校があまり好きではありませんでした。私は日系人で他の人と違うから、幼い頃から人生でたくさんの困難を経験してきました」と言いました。養母はグアムに住んでいたため、暫くの間グアムで暮らしました。しかしグアムでの生活は彼の意向に沿わず、パラオに戻ることを決意しました。就職先は、日本の大阪、横浜、神戸にコプラを運ぶ太平洋諸島貨物船(PM&O)で、港湾作業員として働きました。渡航中にサイパンに寄ることもあり、港近くの店で買い物をすることができました。日本でさまざまな種類の日本製ヘアジェル「ポマード」を買ったことを覚えています。
ある時、乗務していた貨物船が横浜港に停泊しました。当時、妹のモリ・ヨシエさんは、米軍に勤務していた夫と横浜に住んでいたため、彼と会うことが出来ました。そこで一緒に横浜市内を観光しました。彼が父親に会うことは叶いませんでしたが、彼女は横浜に住んでいたときに実父のモリ・ヨキチさんに会うことができたそうです。
モリ・ススムさんは「日本とパラオが今後も長きにわたり良好な関係を維持し続けることを期待しています」と語ってくれました。
彼が学生の頃、エマウス高校に通いましたが、中退してしまいました。「学校があまり好きではありませんでした。私は日系人で他の人と違うから、幼い頃から人生でたくさんの困難を経験してきました」と言いました。養母はグアムに住んでいたため、暫くの間グアムで暮らしました。しかしグアムでの生活は彼の意向に沿わず、パラオに戻ることを決意しました。就職先は、日本の大阪、横浜、神戸にコプラを運ぶ太平洋諸島貨物船(PM&O)で、港湾作業員として働きました。渡航中にサイパンに寄ることもあり、港近くの店で買い物をすることができました。日本でさまざまな種類の日本製ヘアジェル「ポマード」を買ったことを覚えています。
ある時、乗務していた貨物船が横浜港に停泊しました。当時、妹のモリ・ヨシエさんは、米軍に勤務していた夫と横浜に住んでいたため、彼と会うことが出来ました。そこで一緒に横浜市内を観光しました。彼が父親に会うことは叶いませんでしたが、彼女は横浜に住んでいたときに実父のモリ・ヨキチさんに会うことができたそうです。
モリ・ススムさんは「日本とパラオが今後も長きにわたり良好な関係を維持し続けることを期待しています」と語ってくれました。