インタビューシリーズ~パラオの日系人~第15回キミコ・ホセイさん

令和6年8月19日



(キミコさんの母親)
 


1944年生まれ、現在80歳のキミコ・ホセイさんは、日本人の血を引くパラオ人です。彼女の父親はホセイ・クルズさん、母親はペリリュー島のソルメイ夫人です。キミコさんの父親、ホセイ・クルズさんはサイパン出身で、クルズさんはパラオを訪れ、キミコさんの母親ソルメイさんと出会いました。二人は結婚し、ペリリュー島で暮らしましたが、クルズさんは亡くなり、ペリリュー島に埋葬されました。キミコさんはセイズ・ウンさんと結婚し、2人の息子をもうけ、孫も何人かいます。
 
幼い頃にパラオ人の家族に養子として引き取られたキミコ・ホセイさんは、実の父親のことを知りません。実の母親であるシワ・ハルミさんのことは知っており、1978年に亡くなったことも知っています。彼女の兄のフクジョウさんは北海道に住んでいました。
 
家族に会えることを願い、日本に2度訪れました。「2度目の訪問では、家族が見つけてくれることを願い、キミコさんとその実の母親についての詳細を、新聞に掲載することを依頼しました。すると、偶然にも、兄の娘が私の新聞広告を見て、ようやく兄に会うことが出来たのです」。
 
キミコさんは小学校時代、他の人と違っていたため「アド・ラ・シアバル」(日本人)と呼ばれ、大変な時期を過ごしました。母親に話すと、聞き間違いだと言いました。母親は彼女を「アド・ラ・サイバル」(サイパン出身)と呼んでいたのです。彼女を養子にした両親は、彼女が日本人であることを周りに知られたくありませんでした。彼女は日本語を話せず、第二次世界大戦の記憶もありません。
 
北海道のNPOのアリハラさんは、キミコさんが純粋な日本人であるかどうかを確認するためのDNA検査を手伝いました。同じNPOがキミコさんの人生物語を出版し、日本で販売されました。日本人であることが判明後、日本に行くよう招待されました。最初の旅行はリリー・ナカムラさんと一緒に、2回目はサビナ・アンドルさんと一緒に行きました。最初の訪問の時は雪が降っていたので、母親の墓地に行くことができませんでした。2回目は高校生の孫2人を連れて行きました。孫たちは北海道でキミコさんの兄とは会いましたが、妹とは会えませんでした。妹は東京に住んでいたからです。
 
キミコさんは日本が好きでしたが、日本語が話せませんでした。「時には実の母親に捨てられたように感じることもありました」と言いました。実の母親は、キミコさんを心配し、育ての母親に、自分が連れて帰るまでキミコさんの面倒を見るように頼みました。キミコさんの実の母親は、戦後キミコさん引き取りにパラオに戻りましたが、パラオ人の母親は彼女を日本に連れて行くことを望みませんでした。キミコさんはまだ小さかったので、何も覚えていません。キミコさんの兄のフクジョウさんも、「母親があなたの無事を確かめるためにパラオに行きたいと言っていたんだよ」とキミコさんに話しました。
 
キミコさんはペリリュー島のイチロー・ブレサムさんが経営する地元の店で働いていました。お金を貯めてブレサムさんから店を買い取り、その後は少しずつ店を拡大することができました。年をとった今、キミコさんは店主としての役割を息子に引き継いでいます。
 
キミコさんは、日本の祖先と日本人が好きです。日本がパラオにいる日本人と日系人にもっと注目してほしいと望んでいます。キミコさんは、自分と同じようなパラオ市民になった日本人と、パラオに住む日系人であるために、日本とパラオが良好な関係を保地続けることを願っています。