インタビューシリーズ~パラオの日系人~第14回マユミ・シノスカさん

令和6年8月14日
 
 
 
マユミさんと父親シノスカさん
 
現在87歳のシノスカ・マユミさんは、パラオの日系人です。父親は東京の東久留米市出身のシノスカさん、母親はペリリュー島出身のディリブケルさんです。彼女には息子が一人います。マユミさんの父、シノスカさんは、リン鉱石採掘を行う「コハツ」(注:「南洋興発社」と思われる)という日本企業に勤めていました。マユミさんの家族は現在ペリリュー島でケータリングサービスと観光客用宿泊モーテルを所有しています。
 
マユミさんは、父親は戦死せず、帰国後、日本人と再婚し、2人の子供をもうけたと信じています。マユミさんの友人であるオオダさんが、彼女の異母妹であるカヨコさんを日本で探し出し、友人のエミコさんと一緒にパラオに連れてきてくれました。また、1968年には、カヨコさんに会いに、当時カヨコさんとペリリュー島でホームステイしていた米国平和部隊の隊員とともに、日本を訪れました。
 
「戦争のことはあまり覚えていませんが、ペリリュー島の住民がバベルダオブ島のガラルド州に避難したことは知っています。ペリリュー島に戻ったとき、父はもうそこにはいませんでした。父とはそれきりで、二度と会うことはありませんでしたが、東京の小平にある父の墓地を訪れました。」と話しました。
 
1964年、マユミさんは、縫製やケータリングで稼いだお金と、日本人の友人からの寄付で、ケータリング業とホテルを起業しました。これにより、1965年、中川中将(注:戦争当時は大佐)の妻と日本人の一団がペリリュー島の墓地を訪れ、そのメンバーの一部がアンガウル島に行きました。その後、多くの慰霊団がペリリュー島を訪れるようになりました。
 
彼女は日本が大好きで、7度訪日しました。彼女は、日本とパラオが今後も良好な関係を維持していくことを願っています。