インタビューシリーズ~パラオの日系人~第13回ヒロミ・ナベヤマさん
令和6年7月19日
現在81歳のヒロミ・ナベヤマさんは、北海道出身の日本人の父親であるヨシアキ・ナベヤマさんとパラオ人の母親であるガッパン州出身のオオップ・メコキルさんの間に生まれた日系パラオ人です。 父親は第二次世界大戦後、日本に帰国されるまでガッパン州に住み土地測量士として働いていました。ナベヤマさんは12人の子供と数人の孫、曾孫に恵まれています。
その後、彼の母親がペリリュー島出身の男性と再婚し、ペリリュー島に転居しました。ナベヤマさんはペリリュー小学校に通い、卒業後、木工徒弟養成所で大工の研修を受けました。大工としての技術を学んだ後、家業を継ぎ、雑貨店で働いていましたが、その後メトゥールさんとバウレスさんの建設会社に雇われました。しばらく働いた後、自分の建設会社を設立し、現在は、彼の長男が会社の経営を引き継いでいます。ナベヤマさんは現在地元のガッパン州で養殖業に時間を費やしています。
父親が帰国されてからは連絡が一切途切れてしまいました。しかし、1962年のある日、彼の父親が「パラオに昔住んでいた北海道在住の日本人からパラオの友人や家族に手紙を届けます」と記載された新聞広告を目にしました。この広告を見た彼は息子と元妻に手紙を書くことを決め、パラオまで届けてもらいました。その後は、お父さんがパラオを訪問し、ナベヤマさん自身も日本にいるお父さんを4回も訪ねました。
彼が父親と再会できて良かったことの1つは、自分と同じ名前の異母兄弟に会ったことです。パラオにいる息子にもう会えることはないだろうと思い、日本へ帰国後に再婚したナベヤマさんの父親は次男を同名ナベヤマ・ヒロミと名付けました。当時、弟と出会ったとき、ナベヤマさんは「同じ名前の兄弟がいるのが気まずかった」と笑いながら話しました。しかし、彼が父と弟とのたくさんの思い出を語る様子からも、彼らと過ごすことができたことに感謝し、今も大切に思っていることが見て取れました。
来日した時の思い出は多く、特に印象に残っているのはカラオケパーティーです。ナベヤマさんが歌う順番になって、なんの日本の歌を歌えばいいのかわからず、パラオの歌「カルキムナイ」を歌ったそうです。この曲を知っている父は立ち上がって踊りました。他には、北海道産の新鮮で美味しい魚介類や作物なども大好きでした。演歌を聴くのが好きで、フランク永井さんや北島三郎さんなどの人気歌手が好きです。ナベヤマさんが北海道で唯一嫌いなのは、寒さです。来日中、ナベヤマさんは、「日本語を聞くとたくさん知っている単語があって、話されていることの一部が理解できた」と言います。
日本パラオ外交関係樹立30周年にあたり、日本とパラオはこれまで通り、お互いに支え合うべきだとナベヤマさんが信じています。また、パラオに対する日本政府の多くの支援に感謝し、水産養殖分野での技術協力や支援を一層増やしてほしいと願っています。