インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第13回 メヤンエルディル・アイラ・アズマ・マルソルさん
令和6年6月25日

メヤンエルディル・アイラ・アズマ・マルソルさんは、1982年以来、文部科学省(MEXT)がパラオの学生に日本での教育を促進するために提供している日本政府奨学金の卒業生の一人です。2022年3月から2024年3月まで研究奨学金プログラムで沖縄の琉球大学に留学しました。研究内容について尋ねると、「沖縄の13の異なる地域における生態学的モニタリングと海洋ごみの定量的評価に焦点を当てて研究を行いました。」と答えました。
パラオ高校を卒業後、アメリカのカリフォルニア州に存在するラッセン・コミュニティー・カレッジに入学し、彼女は社会科学の準学士号を取得しましたが、彼女の興味関心は海洋科学と海洋保全にありました。カリフォルニア州のシンプソン大学で研究を続け、そこで卒業し、生物学の学士号を取得しました。続けて修士号の取得も志していましたが、インターンシップを完了するためにパラオに一時帰国した際、パンデミックが起き、アメリカへ渡航できず、研究を続けることができなくなってしまいました。海洋科学と自然保護への興味から、その後パラオ自然保護協会で働き、そこで日本政府奨学金のことを聞きました。研究プログラムに応募することを決め、志望大学である沖縄の琉球大学に入学することができました。
最初の6ヶ月間はパンデミックの影響により、オンラインで日本語を勉強しなければなりませんでした。その後、4月から正式に修士課程の学生になりました。沖縄に滞在した当初のお話を伺うと、「交通手段に少し苦労しました。沖縄では『車なくして人生なし』ということわざがあるほど、この島での移動手段に車が必要不可欠な存在でした。」と語り、彼女は沖縄のさまざまな地域で100回以上のダイビングを含むフィールドワークを完了するために、交通手段のことで同級生に負担をかけたくなかったため、運転免許を取得しました。彼女は、教授と研究室の仲間のおかげで、スキューバダイビングに慣れることができたと教えてくれました。
留学中、東京、大阪、京都など、日本のさまざまな地域を旅し、たくさんの素敵な思い出がある彼女に、一番の思い出を尋ねると「滞在中の一番の思い出は鹿児島の与論島でのダイビングです。」と答えました。毎回ダイビングの後は、小さな食堂に行き、研究室の仲間と美味しい唐揚げを食べたことが楽しい思い出として残っています。
現在は、サンゴ礁研究センターで海洋湖の研究助手として働いており、ジェリーフィッシュ・レイクなどのフィールドワークのおかげで、楽しく働くことができていると言います。
最後に、日本とパラオはすでに強い関係をもっていると信じています。高等教育や両国の文化交流を継続することで、パラオと日本の外交関係は30年を超えてさらに強化することにつながると信じています。
パラオ高校を卒業後、アメリカのカリフォルニア州に存在するラッセン・コミュニティー・カレッジに入学し、彼女は社会科学の準学士号を取得しましたが、彼女の興味関心は海洋科学と海洋保全にありました。カリフォルニア州のシンプソン大学で研究を続け、そこで卒業し、生物学の学士号を取得しました。続けて修士号の取得も志していましたが、インターンシップを完了するためにパラオに一時帰国した際、パンデミックが起き、アメリカへ渡航できず、研究を続けることができなくなってしまいました。海洋科学と自然保護への興味から、その後パラオ自然保護協会で働き、そこで日本政府奨学金のことを聞きました。研究プログラムに応募することを決め、志望大学である沖縄の琉球大学に入学することができました。
最初の6ヶ月間はパンデミックの影響により、オンラインで日本語を勉強しなければなりませんでした。その後、4月から正式に修士課程の学生になりました。沖縄に滞在した当初のお話を伺うと、「交通手段に少し苦労しました。沖縄では『車なくして人生なし』ということわざがあるほど、この島での移動手段に車が必要不可欠な存在でした。」と語り、彼女は沖縄のさまざまな地域で100回以上のダイビングを含むフィールドワークを完了するために、交通手段のことで同級生に負担をかけたくなかったため、運転免許を取得しました。彼女は、教授と研究室の仲間のおかげで、スキューバダイビングに慣れることができたと教えてくれました。
留学中、東京、大阪、京都など、日本のさまざまな地域を旅し、たくさんの素敵な思い出がある彼女に、一番の思い出を尋ねると「滞在中の一番の思い出は鹿児島の与論島でのダイビングです。」と答えました。毎回ダイビングの後は、小さな食堂に行き、研究室の仲間と美味しい唐揚げを食べたことが楽しい思い出として残っています。
現在は、サンゴ礁研究センターで海洋湖の研究助手として働いており、ジェリーフィッシュ・レイクなどのフィールドワークのおかげで、楽しく働くことができていると言います。
最後に、日本とパラオはすでに強い関係をもっていると信じています。高等教育や両国の文化交流を継続することで、パラオと日本の外交関係は30年を超えてさらに強化することにつながると信じています。