インタビューシリーズ~パラオの日系人~第12回キョコ・カワイ・レンギイルさん
令和6年6月14日
現在95歳のキョコ・カワイ・レンギイルさんは日系パラオ人です。 彼女の父親は神奈川県鎌倉出身のカワイ・ヨウイチロウさん、母親はアルモノグイ州イメオンのアレモケット・オバクさんです。 レンギイルさんは、看護師として勤務され、1989 年に退職しました。退職する前は、職業柄、グアム、ハワイ、チューク、ポンペイなどの太平洋地域の多くの場所を訪れましたが、キャリアのほとんどをパラオの国立病院で看護師として過ごしました。レンギイルさんは 4 人の子供と多くの孫、曾孫に恵まれています。
レンギイルさんの父親、カワイ・ヨウイチロウさんは、日本に渡るまでアルモノグイ州で畜産農家をしていました。 レンギイルさんは、父親がパラオを出国したとき彼女が若かったため、父親のことをほとんど覚えていません。 レンギイルさんは父親と再会できなかったものの、パラオに帰国した姉のカヨコさんと再会することができました。
レンギイルさんはコロール公学校に通い、最初の3年間は本科(基礎コース)、その後2年間は保修科(上級コース)を学びました。 卒業後、アルモノグイ州で家事手伝いとして働いていましたが、彼女の本願は看護師になることでした。 彼女はパラオ病院で研修医として働き始め、そこで基本的な医療を学びました。 時々、パラオ病院で勤務される日本人の医師の通訳も担いました。 戦後、レンギイルさんはコロール州に戻り、ガーミッドのアメリカ薬局で働いた後、看護の勉強を続けるためにグアムに行き、1950年に卒業しました。卒業後は、看護を教えるためにチューク州とポンペイ州に行きました。 その後パラオに戻り、レンギイルさんが退職する1989年まで仕事を続けました。
今も日本語を理解し、話すことができるのは、親友のフジ・マユミさんのおかげです。日本語で話す機会があったおかげでレンギイルさんは日本語のスキルを維持することができています。 彼女は日本食、特に寿司とラーメンが大好きです。 レンギイルさんは3度訪日したことがあり、父親の生まれ故郷である鎌倉市を訪れた時、とても美しい街だと感じたそうです。 彼女はまた、大阪の万博記念公園や東京を訪れたりしたことも楽しい思い出として記憶しています。
今年は日本とパラオの外交関係樹立30周年にあたり、レンギイルさんは、これまでの関係を今後も維持すべきであると考えており、長年にわたり日本がパラオに提供してきた支援に感謝していると述べました。