インタビューシリーズ~パラオの日系人~第11回キクコ・モチマルさん
令和6年5月20日

現在84歳のキクコ・モチマルさんは、八丈島出身の日本人の父親ヘイノスケ・モチマルさんとガラロン州出身のパラオ人の母親ワイサン・オベイロンさんの間に生まれた日系パラオ人です。モチマルさんは、は信託統治領看護学校で研修を受け、1999年に引退するまでの合計20年間、パラオ、ポンペイ、ヤップで看護師として働きました。彼女は3人の子供と数人の孫に恵まれています。
キクコさんによると、父親のヘイノスケ・モチマルさんはパラオに移住した商人だったそうです。 彼と結婚し、家族を持ちました。モチマル一家はガラルド州のオル村に移り住みました。モチマルさんの父親は農業に従事し、母親は主婦でした。 終戦後キクコさんが5歳の時、父親は、家族と離れて、パラオに残っていた他の日本人とともに日本へ帰国しました。父親がパラオ語で家族に話しかけていたため、キクコさんは日本語を話せません。彼女は大人になってから、日本にいる父親と手紙を交わすようになりました。その際、 日本語ができるいとこや友人に、父親からの手紙を訳してもらったり、父親宛ての手紙を和訳してもらったりしました。
キクコさんは日本語は話せませんが、日本の音楽、映画、食べ物は好きです。特に、歌手は、フランク永井、美空ひばりが好きで、映画は、「愛染かつら」が好きです。また、好きな食べ物は、海苔巻きです。そしていつか、父親の出身地である八丈島を訪れてみたいと思っています。
キクコさんは高齢になった今、自分の健康と幸福を大事にし、できるだけ平穏に暮らすよう努めています。 パラオでの生活を楽しんでいる彼女は、もし日本に住んでいたら、人生は違ったものになっていたかもしれないと言います。しかし、彼女は今の生活が好きで、違う生活は想像することさえできないそうです。