インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~  第10回 リサ・アブラハム・レンゲエルさん

令和6年3月20日

リサ・アブラハム=レンゲエルさんは、日本政府(文部科学省)奨学金制度を利用して日本の専修学校で学んだ帰国留学生です。現在は、コロールとアイライで夫が経営する、事務用品、食料品、特産品、建築資材、エアコンなどさまざまな商品を扱う複数の店舗や倉庫でマネージャーを務めています。アブラハムさんは、そのネットワーク・スキルを生かして起業家向けのワークショップに積極的に参加し、知識をパラオのさまざまな州に広めています。
 
ハワイのカリヒ・カイ小学校、ファリントン高校を卒業後、1988年6月にパラオに戻ったアブラハムさんは、コロールにあるパラオ通信公社で国際オペレーターとして9ヶ月間働きました。その間に、オレゴン州ポートランドのリード・カレッジと日本政府奨学金に同時に応募し、両方に合格しました。アブラハムさんは、アメリカへの留学はいつでもできるが、日本で学ぶ機会は一生に一度しかない貴重なチャンスだと考え、新しい経験を求めて日本へ留学することを決めました。
 
1989年に渡日したアブラハムさんは、初めの半年間は東京の文化外国語専門学校で日本語の勉強に専念しました。アブラハムさんにとって日本語の最大の難関は助詞を覚えることでしたが、日本語を話す祖父母のもとで育ったため、言葉を聞き取ることは簡単だったそうです。銭湯で友人と会話したり、カラオケで歌ったり、スポーツをしたり、クラスメイトと交流したりと、日本の生活に没頭しました。語学学校卒業後は、日本電子工学院でコンピュータ・ソフトウエアの勉強に励み、毎日放課後には5時間も勉強しました。当時のノートは今でも大切に保管され、アブラハムさんのモチベーションの源となっています。
 
アブラハムさんは、最小限の資金のみを持って日本留学を開始しました。そのつつましい留学生活の始まりこそが、日本で成功することを決意したきっかけだったと振り返ります。2年半の留学生活で、学問的な基礎を学んだだけでなく、人格、限られたお金の使い方、意思決定の方法、優先順位のつけ方などの規律を身につけました。アブラハムさんは、専門学校で出会ったタケイ先生を今でも懐かしく思い出します。タケイ先生とアブラハムさんは毎月15日の午後6時に欠かさず待ち合わせをしていました。アブラハムさんが1分でも遅刻すると、タケイ先生は帰ってしまいました。タケイ先生はそのようにして、アブラハムさんに約束を守ることの大切さや、日本での生活術を教えてくれました。
 
専門学校卒業後にサイパンの日系企業でツアーガイドとして数年働いた後、パラオに戻ったアブラハムさんは、パラオ政府観光局で長年働くことになりました。そして、パラオ・コミュニティ・カレッジに通ってビジネス会計の準学士号を取得した後、中小企業開発センターで10年間働きました。2015年にはハワイに移住し、ハワイの米国農務省で働きながら大学に入ってさらに勉学に励みました。2019年、アブラハムさんは夫の営む事業に専念するため、パラオに戻ってきました。自営業を営む中で、人事、経理、財務の幅広い経験を積みました。
 
日本では、横浜ベイブリッジ、鎌倉、六本木、渋谷など有名な観光地を訪れました。好きな日本食はイカ焼きで、学期末に試験が終わるとクラスメイトと飲み会をしたことや、日本で初めて出会った割り勘の文化など、日本の習慣はアブラハムさんの心に深く刻まれています。アブラハムさんの好きな日本語は「至福」です。
 
アブラハムさんは、日本の教育環境と考え方が、日本で学んだパラオ人帰国留学生が持つ物事への一貫性につながっていると信じています。日本とパラオが外交関係樹立30周年を迎える今、より多くのパラオ人が日本政府奨学金を通じて日本で学ぶ機会を掴むことを願っています。