インタビューシリーズ~パラオの日系人~第9回フミコ・キンジョウさん
令和6年2月6日


フミコ・キンジョウさんは独学で学び成功したビジネスウーマンの日系パラオ人です。彼女の父ははモリスケ・キンジョウさんという沖縄出身の大工で、母はエサール州出身のトモドラン・トゥロイさんです。現在93歳のフミコ・キンジョウさんは、1993年にコロールのメダライでHKモテルを開きました。彼女は10人の子供多くの孫、ひ孫に恵まれています。
12歳から14歳までの3年間、コロールの日本人学校「国民小学校」に通いました。その後、エサール州の日本人学校「清水国民学校」に2年間通いました。戦時中、彼女はいくつかの困難を経験しましたが、何とか生き延びることができ、15歳の時に米国信託統治領政府のもと、エサールの学校でさらに教育を受けることになりました。
フミコさんはもともと数学に興味があり、それがビジネスへの情熱を見出すきっかけとなりました。サイパンとパラオの免税店で働いた経験や、1969年に沖縄に住む3人の異母きょうだいを訪ねる旅でビジネスについて学びました。兄姉につられて、豚舎、養鶏場、サトウキビ農園、木炭製造業など、農業関連のビジネスを見学しました。彼女は沖縄の玉泉洞を訪れたことを今でも覚えています。
フミコさんは1960年から1988年まで、Tドック地区でココ・インという宿泊施設を経営していました。当時、彼女はすでに家庭を持ちながらビジネスを営んでいましたが、それでも当時パラオ唯一の大学であったミクロネシア職業訓練校 (MOC) で教育を受けることに躊躇しませんでした。彼女は1970年、現在パラオ・コミュニティー・カレッジ (PCC) と呼ばれる職業訓練校に入学した最初の学生の一人でした。彼女は料理とホテル経営に関する勉強で優秀な成績を収め、1972年に卒業しました。
1988年、フミコさんはココ・インを閉店することを決意すると、日本人ビジネスマンとパートナーを組み、観光業での新たなビジネス・ベンチャーに乗り出しました。日本人観光客のためにホテルやツアーの手配をし、父親や日本人学校で学んだ日本語力を活かしてツアーガイドの仕事を楽しみました。また、「国民学校」や「清水国民学校」のクラスメートのためにツアーも企画したりしました。1993年、フミコさんはメダライに自宅の2階部分を建てて、11部屋のモーテルをオープンしました。多くの日本人教授研究者、日本かの大学生が彼女のところに滞在し、彼女に戦前日本時代の経験やパラオの歴史や文化にについてインタビューしました。
2024年は日本とパラオの外交関係樹立30周年であり、フミコさんはより多くの日本人がパラオを訪れ、パラオの経済発展のためにビジネスを行うことを望んでいます。
12歳から14歳までの3年間、コロールの日本人学校「国民小学校」に通いました。その後、エサール州の日本人学校「清水国民学校」に2年間通いました。戦時中、彼女はいくつかの困難を経験しましたが、何とか生き延びることができ、15歳の時に米国信託統治領政府のもと、エサールの学校でさらに教育を受けることになりました。
フミコさんはもともと数学に興味があり、それがビジネスへの情熱を見出すきっかけとなりました。サイパンとパラオの免税店で働いた経験や、1969年に沖縄に住む3人の異母きょうだいを訪ねる旅でビジネスについて学びました。兄姉につられて、豚舎、養鶏場、サトウキビ農園、木炭製造業など、農業関連のビジネスを見学しました。彼女は沖縄の玉泉洞を訪れたことを今でも覚えています。
フミコさんは1960年から1988年まで、Tドック地区でココ・インという宿泊施設を経営していました。当時、彼女はすでに家庭を持ちながらビジネスを営んでいましたが、それでも当時パラオ唯一の大学であったミクロネシア職業訓練校 (MOC) で教育を受けることに躊躇しませんでした。彼女は1970年、現在パラオ・コミュニティー・カレッジ (PCC) と呼ばれる職業訓練校に入学した最初の学生の一人でした。彼女は料理とホテル経営に関する勉強で優秀な成績を収め、1972年に卒業しました。
1988年、フミコさんはココ・インを閉店することを決意すると、日本人ビジネスマンとパートナーを組み、観光業での新たなビジネス・ベンチャーに乗り出しました。日本人観光客のためにホテルやツアーの手配をし、父親や日本人学校で学んだ日本語力を活かしてツアーガイドの仕事を楽しみました。また、「国民学校」や「清水国民学校」のクラスメートのためにツアーも企画したりしました。1993年、フミコさんはメダライに自宅の2階部分を建てて、11部屋のモーテルをオープンしました。多くの日本人教授研究者、日本かの大学生が彼女のところに滞在し、彼女に戦前日本時代の経験やパラオの歴史や文化にについてインタビューしました。
2024年は日本とパラオの外交関係樹立30周年であり、フミコさんはより多くの日本人がパラオを訪れ、パラオの経済発展のためにビジネスを行うことを望んでいます。