インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第7回 カブリナ・カズコ・イディップさん
令和5年12月6日

現在80歳のカブリナ・カズコ・イディップさんは、パラオで日本人の両親のもとに生まれ、パラオ人の養父母によって育てられました。男の子1人、女の子4人の5人の子どもがいます。イディップさんは畑仕事が大好きで、自分で育てた作物を地元の朝市に持って行くことが日々の楽しみです。イディップさんの物語は、自分探しから始まったものです。
イディップさんは1943年3月12日、パラオで日本人の両親のもとに生まれたのち、パラオ人の養子となりました。結婚するまで、エサール州で養父母に育てられました。結婚後は、米国信託統治領政府で働く夫とともに、ミクロネシア連邦のチュークやサイパンで暮らしたこともあります。
イディップさんは、沖縄出身の実の両親のことをほとんど覚えていません。実母は、アンガウル州で学校の教員をしていたことは覚えていますが、名前はわかりません。実父はシラド・セイケンという名前で、日本統治時代にパラオで日本軍相手の飲食店で働いていたことを覚えています。イディップさんには、弟が一人、沖縄にいるそうです。チュークで夫と暮らしていたとき、実父のシラド・セイケンさんがイディップさんを沖縄に連れて帰るために探していることを知りました。しかし、イディップさんが結婚し、うまくやっているのを見て、実父はイディップさんを連れて行かずに沖縄に帰っていったそうです。
イディップさんのパラオ人の両親は、イディップさんを実の子どもと同じようにとても大切に育てました。小学校1年生から6年生までエサール州の小学校に通いました。成人して、サイパンの免税店で販売員として働き始めるまで、イディップさんは日本語をまったく知らなかったそうです。パラオに戻った後も、定年退職するまでパラオの免税店で働き続けました。
イディップさんはこれまで何度か沖縄を訪れたほか、東京や名古屋など日本の他の場所にも行ったことがあります。イディップさんが第一子を出産した後、実父に会いに家族で沖縄に行ったそうです。沖縄での実父の葬儀や息子の結婚式にも参列しました。日本では、ウニのお寿司がとても美味しかったことや、満開の桜に感激したことが思い出に残っているそうです。
イディップさんは、日系パラオ人の会である「さくら会」のメンバーとして活躍していました。2024年の日本・パラオ外交関係樹立30周年を目前に控え、イディップさんは両国の友好関係が末永く続くことを願っています。