インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第5回 アンソニー・ルディームさん

令和5年10月18日

アンソニー・ルディームさんは、2010年から2013年にかけて日本政府(文部科学省)奨学金制度を利用して日本の専門学校に留学した帰国留学生です。ルディームさんは大阪の語学学校で1年間の語学教育を受けたあと、東京の中央工学校に進学し、土木工学への情熱を追求しました。
 
ルディームさんが日本滞在中に直面した最も大きな課題のひとつは、日本語を習得することでした。しかし、忍耐強く努力を続けたおかげで流暢に日本語を話すことができるようになり、現在は仕事の会議でも日本語を使いこなすほどです。
 
日本の専門学校を卒業した2013年、ルディームさんはパラオの上下水道及び電力の供給管理を担う唯一の政府系機関であるパラオ公共事業公社(Palau Public Utilities Corporation, PPUC)で働くことを目標にパラオに戻りました。帰国当初は求人がなかったものの、同社でのインターンシップを通じて貴重な経験を積む機会をつかみました。この決断が、さらに大きなチャンスへの扉を開いたといいます。
 
インターンシップ期間中、ルディームさんはJICA(国際協力機構)が日本で行う研修プログラムに参加する機会を得て、スキルと知識をさらに高めることになりました。研修を終えてパラオに帰国したルディームさんは、熱心な努力により、パラオ公共事業公社のラボ・アシスタントからジュニア・エンジニア、そして今ではプロジェクト・マネージャーの地位に就くまでに昇進を重ねました。
 
ルディームさんが日本留学で得た経験は、自身のキャリアの成功に重要な役割を果たしています。パラオ公共事業公社のプロジェクト・マネージャーとして日本がODA等で関与する多くの案件にかかわる中で、流暢な日本語でのコミュニケーション能力が重宝され、ルディームさん自身のキャリアアップにさらに貢献したといいます。
 
日本留学で最も思い出に残っていることは、生前パラオと日本との交流に尽力したことで知られる故アントニオ猪木氏が主催したプロレスイベントを、最前列で観戦できたことだそうです。また、日本の牛丼が大好物で、どんぶり1杯だけでは足らず一度に2杯を注文するほどだったそうです。
 
留学を終えた現在も、ルディームさんは日本との強い繋がりを持っています。ルディームさんが仕事関連の出張で今でも引き続き日本を訪れていることは、文部科学省奨学金が単なる教育の機会にとどまらず、より長い目で日本との繋がりを持ち続ける機会を与えていることを示しています。ルディームさんは、日本への留学が個人的にも職業的にも大きな成長をもたらすと信じており、より多くのパラオの若者に日本留学の機会を提供することを強く望んでいます。
 
ルディームさんが語った経験は、教育と国際経験がもたらす変革の力を示すものであり、献身と努力がいかに並外れた成功をもたらし、文化の架け橋となり、明るい未来への道を開くかを教えてくれました。
 

アントニオ猪木氏と撮影した写真。左端がルディームさん。