インタビューシリーズ~パラオの日系人~ 第2回 ローズマリー・メルサイさん
令和5年7月5日

ローズマリー・メルサイさんは、日系3世のパラオ人です。メルサイさんのご両親は二人とも日系2世で日本語を話すことができたので、何か秘密があるときは、子供たちに知られないようにお互いに日本語で話していたそうです。それがきっかけで、メルサイさんは幼い頃から日本語を学びたいと思っていました。
メルサイさんの母方の祖父はアダチさんという日本人で、日本統治時代にパラオで行政に携わっていました。メルサイさんの祖父は、パラオの人々にイタボリ(ストーリーボードと呼ばれる木の彫刻)を伝えたことで知られる日本人画家、土方久功氏の知り合いだったそうで、娘(メルサイさんの母)が16歳の時、日本の土方氏の自宅に娘を2年間滞在させ、裁縫を学ばせたそうです。
母から日本での思い出を聞いて育ったメルサイさんは後年、母方の親戚に会うために山形県山辺町を訪れました。また、メルサイさんの母方のいとこ、ヨシタカ・アダチ氏はかつてコロール州知事を務めました。
メルサイさんの父は実業家でした。メルサイさんは、父の日本人の友人からの援助を受け、関西学院大学に進学しました。父のご友人は、彼女が聴講生として大学に入学できるように手配してくれました。メルサイさんは、自分が聴講生であると知らず、すべての科目を履修し、懸命に勉強しました。大学4年生の終わり頃、教授に呼ばれたメルサイさんは、彼女がすべての科目を履修し、成績も非常に良かったので、聴講生としてではなく正規の学生と同じように、経済学の学位を与えられて卒業することができると告げられたそうです。
1970年、日本からパラオに戻った直後、メルサイさんはパラオ高校で日本語教師として働き始めました。長年パラオ高校で日本語を教えた後、1995年には校長に就任しました。2013年に退職するまで、さまざまな役職で活躍されました。
メルサイさんは、日本食と日本語が今でも大好きです。日本に留学した際、最初の3ヶ月間で日本語を学ばなければなりませんでしたが、パラオ語と日本語に共通する部分があることを知っていたので、日本語を学ぶのは簡単だったそうです。例えば、リンゴ、タマネギなど、日本語の単語のいくつかはパラオでも同じ意味で使われています。メルサイさんは日本語を学ぶために、1年生から6年生までの漢字辞典を買い、漫画も読みました。3ヵ月後、メルサイさんの日本語はとても上達しており、周りの人々がメルサイさんを留学生ではなく日本人だと思うほどだったそうです。
メルサイさんは、日本とパラオは近い場所にあり、世代を超えて歴史が共有され続けているため、両国の関係は今後もより強固なものになると信じている、と語りました。