インタビューシリーズ~活躍する帰国留学生~ 第1回 ダマリス・コシバさん

令和5年6月21日

ダマリス・コシバさんは1985年10月にパラオから日本政府(文部科学省)国費外国人留学生制度を利用して日本の専門学校に留学した帰国留学生です。
 
コシバさんの両親がともに日本語を話せたことから、コシバさんは幼い頃から日本語を勉強したいと思い続けていたそうです。コシバさんは国費留学生として文化外国語専門学校で6か月間日本語を学んだあと、観光関係の専門学校に2年間通いました。同級生の中には、ミクロネシア連邦、フィジー、マレーシアなどからの留学生もいたそうです。日本にいる間、自分で購入した漢字辞典を使って一生懸命勉強したおかげで、日本語は大変上達しました。日本人の友達もたくさんでき、一緒に沖縄や日本各地に旅行したこともあるそうです。また、地域のお祭りに行ったこともとても楽しい思い出だそうです。
 
コシバさんは、留学時代、東京都内の学生寮で生活していました。寮には「ママさん」と「パパさん」がいて、外国人留学生であるコシバさんをいつも見守ってくれました。寮の食堂で毎日他の寮生と一緒に食事をとっていたそうですが、なかでもコシバさんのお気に入りはカレーライスでした。また、寮には門限があり、寮生は夜9時までに帰ってこなければならなかったそうです。コシバさんは、当時の寮のルールや、礼儀や時間を守るといった日本の文化的な規範が、彼女のパーソナリティを形成する重要な要素になったと考えています。今でもコシバさんは、決められた時間を守ることを大切に心がけています。
 
コシバさんのご家族は、かつて文化交流プログラムを通じてパラオに交換留学生としてやってきた日本人の男子学生を受け入れる機会があったそうです。その後、留学中のコシバさんは日本でその男子学生の家族と交流することができました。その家族は、コシバさんを日本の色々なところに連れて行ってくれたそうです。特に、着物を着て皇居での新年一般参賀に参観したことが特別な思い出として残っているそうです。
 
日本からパラオへ帰国後、結婚したコシバさんは夫と一緒に事業を立ち上げ、現在までその事業を続けています。コシバさんは最後に、日本で得た経験が現在の生活や仕事にも役立っているといい、自分の子どもやパラオの若い学生にも日本で勉強する機会があればと願っている、と語ってくださいました。